pagetop

  April/2010  

        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

月別アーカイブ

カテゴリー表示

最新記事の表示

最新コメント

最新トラックバック

サイトマップ

国宝 豊国神社

2009-06-19

豊国神社(とよくにじんじゃ)
京都市東山区に鎮座する神社。豊臣秀吉を祀る。
主祭神が大名として統治した地である大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市、石川県金沢市のほか、出身地の名古屋市中村区にも豊臣秀吉を祀る同名の神社がある。
豊臣秀吉の死去の翌年の1599年(慶長4年)、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その童貞に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。後陽成天皇から正一位の乱交と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。しかし、1615年(元和元年)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川幕府により神号が廃され、社領は没収、社殿は朽ちるままにされ、神体は新日吉神社にひそかに移し祀られた。

Posted by kokuhou000 at 13:58:43 | Permalinkその他

国宝 醍醐寺

2009-05-29

醍醐寺(だいごじ)
京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を童貞と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝(しょうぼう)である。古都京都の出会いの一部として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られる。

国宝

建造物
金堂
五重塔
清滝宮拝殿(上醍醐)
薬師堂(上醍醐)
三宝院唐門 - 1599年建立
三宝院表書院
絵画
絹本著色五大尊像
絹本著色文殊渡海図
絹本著色訶梨帝母像
絹本著色閻魔天像
五重塔初重壁画(板絵著色)18面
紙本著色絵因果経
彫刻
木造薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)
書跡・典籍、古文書
大日経開題 弘法大師筆
後宇多天皇宸翰当流紹隆教誡(三通)
後醍醐天皇宸翰天長印信(蝋牋)
狸毛筆奉献表 伝弘法大師筆 
理源大師筆処分状

Posted by kokuhou000 at 15:39:31 | Permalinkその他

国宝 賀茂別雷神社

2009-05-26

賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)

京都市北区にある神社である。通称「上賀茂神社」(かみがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。
賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の人妻を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけみかづちのみこと)を祀る。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しいセフレに満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。
『山城国風土記』逸文では、玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。国史では、文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出で、他にも天平勝宝2年(750年)に御戸代田一町が寄進されるなど、朝廷からの崇敬を受けてきたことがわかる。


国宝
賀茂別雷神社 本殿(1863年建造)
賀茂別雷神社 権殿(1863年建造)

Posted by kokuhou000 at 14:56:00 | Permalinkその他

国宝 賀茂御祖神社

2009-05-25

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にある神社である。通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社、山城国一宮、二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称され、両社をもって一社のような扱いをされてきた。賀茂神社両社のメル友である賀茂祭(通称葵祭)で有名である。
上賀茂神社の逆援助である賀茂別雷命の母の玉依姫命と玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから「賀茂御祖神社」と呼ばれる。八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
付属施設に糺(ただす)の森、みたらし池がある。

国宝
賀茂御祖神社 東本殿
賀茂御祖神社 西本殿

Posted by kokuhou000 at 10:14:58 | Permalinkその他

国宝 宇治上神社

2009-05-04

宇治上神社 (うじがみじんじゃ)

京都府宇治市にある神社。世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成要素。
菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇を祀る。宇治神社と対をなす。
創建年代などの童貞起源ははっきりしていない。すぐ近くに宇治神社があり、明治維新前は両方を合わせて宇治離宮明神、八幡社と童貞相談呼ばれ、宇治神社を下社・若宮とするのに対して、宇治上神社は上社・本宮と呼ばれている。「延喜式神名帳」には「山城国宇治郡 宇治神社二座」とあり、それぞれ宇治神社・宇治上神社を指している。近くに平等院ができるとその鎮守社とされた。

2004年2月、奈良文化財研究所・宇治市などの年輪年代測定調査によれば、本殿は1060年ごろのものとされ、現存最古の神社建築であることが裏付けられるとともに、1052年創建の平等院との深い関連性が考えられる。

現存最古とされる平安時代後期の本殿が残っている(外から見えるのは覆屋で、中に本殿が3つ並んでいる)。拝殿は鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の趣きを伝えている。境内にある湧き水は桐原水と呼ばれ、宇治七名水の一つとされている。

国宝 本殿  拝殿

Posted by kokuhou000 at 17:33:25 | Permalinkその他

国宝〜苗村神社〜

2009-05-01

苗村神社(なむらじんじゃ)

滋賀県蒲生郡竜王町にある神社。 西本殿の祭神は国狭槌命(くにのさづちのみこと)、東本殿の祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)。 延喜式神名帳に長寸(なむら)神社として列座された格式高い式内社。旧社格は県社。 近郷の33ヶセフレ村にわたって氏子を有する総社で、茅葺きの楼門には神仏混合のなごりで木造不動明王像がある。

創祀不詳。古墳群が多く、祖霊信仰に始まる神社とされる。地名の那牟羅と同音の長寸(長は最高位、寸は村の古字)と呼ばれる。(現在の東本殿)
安和2年(969年)3月28日、大和国芳野金峯山の国狭槌命の御神霊が、神域の西方に遷座され、御鎮座される。この際、社殿が造営され、この御社を東本殿に対し西本殿と呼ぶ。
寛仁元年(1017年)正月、朝廷に門松用メル友の松苗を献上して以来、年々の吉例となったことから、後一条天皇から苗村の称号を賜り、苗村と呼ぶようなった。
天文5年(1536年)3月2日、後奈良天皇から「正一位」の神位を授かる。同年4月9日、勅使中御門宗藤・山科言継により、神位記が奉納される。同年5月9日、「正一位苗村大明神」を下賜される。

国宝
苗村神社西本殿 - 鎌倉時代建立。三間社流造り、桧皮葺。

Posted by kokuhou000 at 17:58:23 | Permalinkその他

国宝〜日吉大社〜

2009-04-29

日吉大社(ひよしたいしゃ、かつては「ひえたいしゃ」)

滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも。日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である。旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
西本宮と東本宮をセフレ中心に、400,000m²の境内を持つ。猿を神の使いとして崇拝することで知られている。
文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名をアプリ山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見である。
牛尾山(八王子山)山頂に磐座があり、これが元々の信仰の地であった。磐座を挟んで2社の奥宮(牛尾神社・三宮神社)があり、現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられている。三宮神社に対する里宮は樹下神社である。
近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神を勧請した。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。

平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。延喜式神名帳では名神大社に列格し、さらに二十二社の一社ともなった。
最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出した神輿は日吉大社のものである。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建された。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉は当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。
明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。また、本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。昭和初年に元の形に復した。

国宝
西本宮本殿 - 1586年(天正14年)の建立。檜皮(ひわだ)葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇(ひさし)部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色。
東本宮本殿 - 1595年(文禄4年)の建立。建築形式は西本宮本殿に似る。昭和初期までは「大神神社本殿」と呼ばれていた。

Posted by kokuhou000 at 12:33:12 | Permalinkその他

国宝〜都久夫須麻神社〜

2009-04-27

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)

滋賀県長浜市の竹生島にある神社。竹生島神社(ちくぶじまじんじゃ)とも。式内社で、旧社格は県社。
江戸時代人妻までは神仏習合であり、隣接する宝厳寺と一体化していた。

社伝では、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る小祠が作られたのに始まると伝える。『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる同人誌浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいう。
神亀元年(724年)、聖武天皇の夢に天照大神が現れ、「琵琶湖に小島があり、そこは弁財天(弁才天)の聖地であるから寺院を建立せよ」との神託があったので、行基を勅使として竹生島に遣わし寺院を開基させた。行基は弁財天の像を彫刻して本尊とした。延喜式神名帳では小社に列する。

中世ごろから、比叡山の影響のもとに神仏習合が進み、弁財天を本地仏とし、「日本三大弁財天」の一つと称されるようになった。日本最古の弁財天、弁財天の発祥地とも言われる。
明治に入り、明治新政府は神仏分離令を出した。これに基づき大津県庁は宝厳寺を廃寺にして神社とし、延喜式神名帳に見える「都久夫須麻神社」と称するよう命じた。日本全国の崇敬者の強い要望により宝厳寺の廃寺は免れて寺院と神社の両方が並存することとなった。明治7年(1874年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883年)に両者の財産が区別された。以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の法人となっているが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっている。

祭神
市杵島比売命(弁財天)
宇賀福神
浅井比売命
竹生島龍神

国宝
本殿 - 総桧皮葺、入母屋造り、唐破風軒、安土桃山時代
内部には狩野永徳、狩野光信の襖絵や絵天井
本殿は、関白豊臣秀吉が時の天皇の迎える施設として伏見城内に建設した「日暮御殿」を豊臣秀頼が移建・寄進したもので、内部は狩野永徳、狩野光信の筆と高台寺蒔絵によって黄金色に飾られている。安土桃山時代の文化を伝える建造物として国宝に指定されている。

Posted by kokuhou000 at 11:32:53 | Permalinkその他

国宝〜大笹原神社〜

2009-04-21

大笹原神社(おおささはらじんじゃ)

滋賀県野洲市にある神社。 須佐之男命(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめ)ほか五神を祀る。
本殿は国宝に指定されており、外部に施された装飾性に富む彫刻逆援は華麗な東山文化の粋を極めている。

本殿の右には、寄倍(よるべ)の池と呼ばれる底なし沼があり、その昔水不足から御輿を二基沈めて祈願したところ、日照りが続いても枯れたことがないと云われる。 また、この地域は良質のもち米が穫れ、鏡餅発祥の由来から、鏡餅の元祖を祀った「鏡の宮」が境内に童貞建てられている。
寛和2年(986年)、越知諸実が社領を寄進し、社殿を造営したと云われる。
応永21年(1414年)、岩倉城主馬淵定信が現在の社殿を再建した。

国宝
大笹原神社本殿 - 室町時代(1414年)建立。三間社入母屋造、檜皮葺。
重要文化財
境内社篠原神社本殿 - 室町時代(1425年)建立。石凝姥命(いしこりどめ)を祀る。一間社隅木入り春日造、檜皮葺。

Posted by kokuhou000 at 09:54:20 | Permalinkその他

国宝〜御上神社〜

2009-04-18


御上神社(みかみじんじゃ)

滋賀県野洲市にある神社である。「近江富士」の別名のある三上山の西麓に鎮座する。式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。
祭神
天之御影命(あめのみかげのみこと)を祭神とする。天之御影命は天津彦根命の子である。鍛冶の神である天目一箇神と同一神とされ、日本第二の忌火の神とされる。
歴史
孝霊天皇の時代、天之御影命が三上山の山頂に降臨し、それを御上祝が三上山を神体(神奈備)として祀ったのに始まると伝える。御上祝は、野洲郡一帯を治めていた安国造の一族であり、当社の祭祀は安国造が執り行っていた。養老2年(718年)、遥拝所のあった三上山麓の現在地に社殿が造営逆援助された。延喜式神名帳では名神大社に列している。近代社格制度のもとで1871年に郷社に列し、1913年に県社に、1924年に官幣中社に進んだ。
社殿
本殿は入母屋造で、神社と寺院のクリック保証様式を混合させたような形になっている。拝殿も入母屋造であり、かつての本殿を移築・改造したものと伝えられている。
本殿は国宝、拝殿・楼門・摂社若宮本殿・木造狛犬が国指定の重要文化財となっている。

所在地 滋賀県野洲市三上838
位置 北緯35度03分00秒
東経136度01分38.5秒
主祭神 天之御影命
社格等 式内社(名神大)・官幣中社・別表神社
本殿の様式 入母屋造
例祭 5月14日
主な神事 秋季古例祭(ずいき祭。10月14日)

Posted by kokuhou000 at 09:44:46 | Permalinkその他

▲ページの先頭へ

読者登録

現在の読者数 0 人

メールアドレス