3時頃、大雨が降りだした大阪へと到着した。義母、ヨメ、ヨメ妹の、多少の精神的支えになれればとすぐに病院へと駆けつけた。12時間に及ぶ難手術であった。夜半、手術を終えた執刀医からは、非常に厳しい容体であると告げられた。
深夜ICUにて付き添っていると、ある時から、見る見るうちに血圧が下がり始めた。85ほどあったそれが、3、40分の間に40まで落ち込んだ。慌ただしく午前2時から再度胸部を開けて止血の手術が開始された。
いよいよ、生きては手術室から出てこれないかも知れないという覚悟を決めつつ経過を待った。明け方、手術室から出てきた義父は、まだ息をしてるし、血圧も持ち返している。執刀医も「特に決め手となるような処置はしていないし、何がどうなっているのか、疑問ばかりだ」というような見解を説明してくれた。
まだ安心できる状態ではないが、とにかくその日、土俵際で残った。しかしほぼ20時間にも及びその職責を遂行させる医師の姿を間近で見ると、改めてその職業の過酷さには敬服させられるし、医学だけでは説明のつかん、人の生命力という不思議も感じる。
「生きている」というそのことに、改めて感謝という気持ちを抱いた。まだまだ過酷な時間を過ごさなあかん義父ではあるが、どうか回復に向かうよう祈るばかり。
深夜ICUにて付き添っていると、ある時から、見る見るうちに血圧が下がり始めた。85ほどあったそれが、3、40分の間に40まで落ち込んだ。慌ただしく午前2時から再度胸部を開けて止血の手術が開始された。
いよいよ、生きては手術室から出てこれないかも知れないという覚悟を決めつつ経過を待った。明け方、手術室から出てきた義父は、まだ息をしてるし、血圧も持ち返している。執刀医も「特に決め手となるような処置はしていないし、何がどうなっているのか、疑問ばかりだ」というような見解を説明してくれた。
まだ安心できる状態ではないが、とにかくその日、土俵際で残った。しかしほぼ20時間にも及びその職責を遂行させる医師の姿を間近で見ると、改めてその職業の過酷さには敬服させられるし、医学だけでは説明のつかん、人の生命力という不思議も感じる。
「生きている」というそのことに、改めて感謝という気持ちを抱いた。まだまだ過酷な時間を過ごさなあかん義父ではあるが、どうか回復に向かうよう祈るばかり。


しかし、今が踏ん張りどころ!くじけてはなりませぬぞ!!
なんかあったら言うてね、あまりチカラになれへんと思うけど・・・。
こちらも何も出来ませぬが何かあったらです・・・。
酒飲んでる場合じゃないかもですが・・・(謎&頑張れ)。
肉親がくじけそうな顔した時のサポートに尽します。
▲ホルモンあにき、有難うございます。夕べ30時間の付き添いの後、
あれほど体に沁みた1杯のビールはありませんでした。
しかしながら、「気絶」は自重したいです。