いずみたくが作曲した「希望」ではない。フレッシュマンのグループがわんさか溢れかえっていた週末の小田原駅。本社があるのであろう関東方面での入社式を終えて一旦帰阪するグループだろうか、後ろからこんな会話が。新入社員A君:「希望配置先とか、なんて言うた?」
新入社員B君:「"特に希望はありません"が決まり文句なんやろ?希望先なんか言うてもカンケーないって言うし…」
言い方に希望ないなあ。
A君:「オレは大阪やったらエエのになあ。ところでキミどこ住んでるのん?」
B君:「綾部。知ってる?」
A君:「…ああアヤベな…、バス停やったら知ってるで」
B君:「どこのバス亭やねん」
A君:「ごっついダムのあるとこやろ」
B君:「それはクロベ」
A君:「うそうそ、山陰本線の綾部な。夏暑い盆地、勿論知ってるで。」
B君:「ってどないやねんな」
やるな、新入社員A君。きっと希望の配属先を申告する時「自分を活かせる地域ですから」とか言うたのかな。でもたとえ関西以外の地域に配属となっても、たとえ君のボケに突っ込んでくれるヒトがいなくなろうとも、たとえこの先いくら翻弄されようとも、希望を捨ててはいかんぜ。
列車内「ひとたびはポプラに臥す」読書中。時の歴史に翻弄され続けながらも、生涯をかけて一つの目的を完遂させた僧侶「鳩摩羅什 (くまらじゅう)」が歩いた6700キロの道を追う宮本輝アニキの旅エッセイ。
チベットやウィグルの中国自治区をも通りゆく道中記は、それが10年以上前の話としても、話題に上る国際問題の背景を感じさせる。「支配欲」という快楽を求める人間というものは、それが人相にも表れると。漢民族に限らず確かに身近にもそんな「人相」はちょくちょく見かける。
さて1700年近い昔、生涯を賭して一つのシゴトをやり遂げた羅什という人、フツーの人なら「絶望」と感じることをさぞや何回も味わったのだろうな。それでも一生涯をかけて目的の完遂を成し遂げる精神力、見習いたいトコやけど、フツーの人であるジブンが「絶望の淵」で、そんな初志貫徹はできそうに思えないな。
しかし、たとえ最初の希望を失ったとしても、また別の希望を持てばよいということかな。時間をかけてそんなことを繰り返してたら、そのうち最初の希望に辿りつくやろと。日本酒と共に、そんな楽チンな解釈としておいた。
チベットやウィグルの中国自治区をも通りゆく道中記は、それが10年以上前の話としても、話題に上る国際問題の背景を感じさせる。「支配欲」という快楽を求める人間というものは、それが人相にも表れると。漢民族に限らず確かに身近にもそんな「人相」はちょくちょく見かける。
さて1700年近い昔、生涯を賭して一つのシゴトをやり遂げた羅什という人、フツーの人なら「絶望」と感じることをさぞや何回も味わったのだろうな。それでも一生涯をかけて目的の完遂を成し遂げる精神力、見習いたいトコやけど、フツーの人であるジブンが「絶望の淵」で、そんな初志貫徹はできそうに思えないな。
しかし、たとえ最初の希望を失ったとしても、また別の希望を持てばよいということかな。時間をかけてそんなことを繰り返してたら、そのうち最初の希望に辿りつくやろと。日本酒と共に、そんな楽チンな解釈としておいた。


my枡 持ち歩いてんのか?
ファニー&ファンシーやん。
これから「my桝」にちょうどエエかも(笑)。