死闘を共にしたおっさん連中が監督やコーチを務める、地元地域こども会のソフトボールチームが出場する市の大会があった。我が家の次男(11)は白球追うコトには興味なしながらも、同級生や近所の子が予選勝ち抜きF島区の代表として大阪市の大会に出るコトに感銘を受けているようであるので、日曜日、近場サイクリングがてらに会場の大阪城公園まで自転車で様子見に出かけた。

F島区を南下して堂島川沿いの遊歩道へと乗り入れゆっくりと走る。淀屋橋まで出ると土佐堀通りへと進路を変えて更に東行。

言うてる間に目的地へ到着。城から見て北西端、大手前の学校のあたりから大阪城公園へ。ここから城内敷地へ進むといきなし戦時中の施設「大阪兵砲工廠」の跡が目に入る。長い日本の歴史の中においては、生々しい史跡。

昭和初期に生まれ市内都島区で戦争体験したオカンから聞いた経験談。
「大戦始まった真珠湾攻撃の翌朝、父親(じいさん)の朝刊読むただならぬ様子に、ジツは柱にしがみついてブルブル震え上がった」とか、一瞬で生死分ける大阪大空襲をかいくぐり、「(戦争)終わった時はジツはめちゃくちゃホっとした」とか、そんな数々のエピソードを身近に耳にしてきたモンとしては、こうやって子供連れてのスポーツ大会観戦にプラプラできる日常に改めて感謝。

さて地元地域の様子見に駆け付けたとはいえ、自転車で訪れたのでフットワークも軽い。試合の合間には公園内もウロウロした。グランド横では「こいや祭り」という新手の市民イベントを見物したり、(一糸乱れぬダンスパフォーマンス、迫力あったぜ)

天守閣へも足を伸ばした。応援にもそれなりに熱を上げていたようではあるが、石垣の「刻印」に興味示すほど、思ったより史跡にも食いついていた。次はいっぺん「姫路城」だな。

そしてこの日ジブンらのメインイベント市子連大会、F島区近所の子供達は客観的に見てもエエ切れ味してる。人口多く選手層も厚い他の区に比べ、1学年1クラスでおまけに20人くらいしかいてない少人口の中、平均身長も小柄な子供達は、善戦の善戦で準決勝まで勝ち進んだ。
その準決勝も1−1の引き分けの末「クジ運」で力尽き、残念ながら決勝進出には涙をのんだが、大阪市の大会で胸張れる近所の子ら活躍に、次男も心打たれた模様やった。


砲兵工場といえば、小学生のころ、まだこのあたりは
あたり一面草ぼうぼうの「焼け跡」を色濃く残す
更地でしたよね。
弾丸の空身(名前失念)を拾いにいきましたわ。
戦禍などツユ知らずに。
平和が一番ですよね。
次男は先日「なんば」までチャリ漕いだことでちょっと変な自信ついたみたいです。
> 弾丸の空身(名前失念)を拾いにいきましたわ。
アニキもアパッチな小学生やったんですね(笑)。
>「焼け跡」を色濃く残す更地
そう聞くと、我々エライ年配者世代に思えてしまいますが、あの一帯だけは
OBPの開発始まる前まで、そんな時代停止状態やったらしいですね。
飲ませたい気分ですわ。
なにぶん親に似て無気力なもんで。。。(´ヘ`;) う〜ん・・・
普段の練習中は鬼軍曹のクセして、大会の日は一切怒声なし。
それどころかすごい擁護と励ましと笑顔に徹していました。
子供らも、楽しいのんと、緊迫してんのと、メリハリある表情でしたよ。