朝5:30、無理クソ起きて仕事で名古屋へと行ってきた。実は先日の日曜日、新大阪の本屋で、その「作者」に興味を抱き「宮本輝」さんの単行本を数冊買いあさってしまったのだが、今朝はシゴトで使う資料の他に「血脈の火」に続く、「天の夜曲」を出張カバンの中に忍ばせておいた。出張は結構重要な任務で同じ会社から数人で出向いたのだが、一通りの任務も無事済ませ帰路へとつく。春休みという「混雑期」は想定していたし、東へ向かう新幹線も皆バラバラの指定席へ収まり、その予想通り「一人」に浸ってビールと読書を楽しめた。
前回読んだ「血脈の火」は、若き日に読んだ「泥の河」と同時期のハナシやったが、それに続く「天の夜曲」とは勿論「蛍川」なんやろなと表紙をめくると、同じくパラレルな物語、「蛍川」のウラ話的な解釈にそのまま引きずり込まれていった。
しかしこの「流転の海」シリーズ、「同意同感」が多すぎる。エンタツアチャコがあみ出したと言われる上方漫才も「客に"同意同感"を思わせて笑いをとる」が基本らしいが、文芸でも同じことが言えるのか。「業、運、不運、人生のめぐり合わせ」「"ジブン"ありきの世間に対するスタンス」「溺愛する息子(子供)への教育方針」「家族が離れ離れになった時、その時自分は、妻は、子供は、」「妻の精神不調」ナドナド偶然的な同意同感のエピソードも含め、読み進むにつけ主人公"熊吾"への憧れや戒めが自分の心に投影される。
作者「宮本輝」さんのHPを拝見したところ、ご自身も長いこと「不安神経症」と向き合ってはる様子。その苦しいご体験は、母親の、夫と離れて暮らす不安な心情を描写するにあたりに、さりげなくもかなりリアルに表されていると感じる。自分ヨメの行動パターンともどこか共通点あり。
実は、自分自身も11歳から12歳にかけて、家族を二分し、母親とその郷里「鹿児島県の徳之島」というところで過ごした時期があった。たった1年ながら、そこで見た母親の姿、祖母の姿、田舎の子供達(友達)の姿、祖父との死別、思い起こせば自分の中の「蛍川」やったんやろうと。そして大人となり父親として家族と離れ過ごす今は、「天の夜曲」の熊吾かも。この物語では、熊吾の判断はことごとく裏目に出て、松坂家にだんだんと影を落としていく序章のような含みがある。自身の行動にも戒めの警鐘を鳴らしてくれる。(小説のように波瀾な出来事はなかなか起こりませんが)
この小説に対しての賛否両論な寸評も見たが、確かに、読者自身の経験に基づいて琴線に触れることがなければ、ただの身の上話を聞かされているような感想になるのかも知れない。しかし主人公一家の、一挙一動に理解を示すことが出来るのは、ジブンもええ歳になってきたことを意味するのであろう。先日還暦を迎えはったという作者が、現在執筆中(「新潮」に掲載)という第5部「花の回廊」にはまだ触れたこともないのだが、主人公「松坂熊吾」の最期に際してなのか、或は大人に成長した伸仁(のぶひと)の回想を通じてなのか、人の心の光と闇や、人生の無情さや、その儚さに触れることができるのかなあと、読んでみる前から勝手な妄想を膨らませて、壮大な人間ドラマの締めくくりに「楽しみ」を想像する。


かくいう私も、家族の繋がりを再考すべく、重松清さん月間
推進中です。
お嬢さんへのエール、わたしにも響きましたわ。
おもしろい人間模様なのでしょうか。<自分自身
ムスメへの訓示、言うてみたらそのまま自分へのオウム返しですわ(笑)。