○弘田三枝子さんのバケーション
金曜夜にTVを見て、土曜朝から書き始めた記事で、途中で休んで、つい置いてしまい少し日が経ってしまった。
金曜夜のテレ東系「たけしの誰でもピカソ」に弘田三枝子さんが出ていて、「バケーション」と「人形の家」を歌ってとても懐かしかった。
あの時代のアメリカの大人気女性ボーカル、コニー・フランシスの大ヒット曲の日本語版カバー曲だ。当時は競作で、弘田三枝子さん他の歌手も歌っていたらしい。勿論、弘田三枝子さんの歌ったものが一番売れたらしいが。
あの時代、今で言うオールディーズだが、アメリカやイギリス、フランスのヒット曲を日本人歌手が日本語訳詩でカバーして歌うものが、日本中で大ヒットしていた。僕がまだ幼少時で、そうですね、僕の憶える限り流行していたのは、僕が4歳くらいから8歳くらいまでか。その内、洋楽カバーではなく、日本人作曲家が作った日本オリジナルのジャパンポップスが出始め、やがてそれが隆盛になって行った。
幼いながらも僕は、弘田三枝子さんの声量のあるハスキーボイスの爆発的なボーカルを印象的に覚えている。幼少時のあやふやな記憶ばかりの中でも、弘田三枝子さんの「バケーション」と中尾ミエさんの「可愛いベイビー」は脳裏に焼き付いている。「可愛いベイビー」の方は、幼いながらもうっとりと来て心地良いメロディーが印象的だったんだと思う。
弘田三枝子さんの声量のあるパンチの効いた、素晴らしいボーカルは、あの時代に活躍した実力派に多く見られるように、やはり幼い頃に、進駐軍の米軍キャンプを回ってパフォーマンスを見せて鍛え上げられたものだった。僕は弘田三枝子という実力派シンガーは、もっとずっと年上だろう、と意識していたが、実はタモリよりも年下になり、何と団塊世代の一員だった。これは驚きだった。きっとデビューが早くて少女時代からTVで活躍していたからだろう。
僕は、時々やっているTVの懐かしの昭和歌謡、みたいな番組をあんまり見ない方なので、晩年、というと失礼ですね、後年の弘田三枝子さんのパフォーマンスを知らなかった。超久しぶりに見て驚いた。無論、昔々から定評のある実力派のボーカルはいまだ衰えず、素晴らしい声量の張りのある歌声を、現在のそろそろ老境に入って行こうか、という年齢でも、聞かせてくれて感嘆したが、その維持している細身のプロポーションにもびっくりだが、顔立ちが…。
日本の歌謡ポップス界の夜明け時代を築いた、一人の大御所に対して大変失礼かと思うが、老境に入って行こうかとする、その往年の実力派ポップスシンガーの顔は、一目、正直、僕にはゾンビに見えてしまった。本当にこういう形容の仕方はとても失礼なのだが、何だか顔自体が崩れかかっているように見えた。ゾンビでなければミイラか。
弘田三枝子さんは遠いカメラワークで全身近くの姿で映ると、年齢不詳で若く見え、何だか昔々の洋人形にも見えて、こう言っては悪いのだが、少し不気味にも見えた。顔のアップでは、厚く塗り固められた化粧の真っ白い顔が、やはり人形の顔が崩れかけ壊れかけているような、そんな印象さえ受ける。一度、顔面のご病気か何かされたのだろうか、それとも整形の失敗が出ているのか、つい、そういう心配をしてしまうような、アップのルックスになっている。こういう形容は誠に失礼なんだけど。しかし、こういった往年の実力派シンガーは顔のルックスや姿形ではなく、やはり現在の年齢までも維持し続けている見事な歌唱力だ。
昭和のTVエンタティンメント黎明期の歌謡ポップスの開拓者は、洋楽カバーのヒットの後、弘田三枝子の代表曲とも言える日本オリジナルの歌謡曲、「人形の家」の大ヒットを飛ばし、やがてジャズの世界でも実力を見せ、本場アメリカでも認められる程のものだった。
81年に「キッスは目にして」という歌をスマッシュヒットさせた、ザ・ヴィーナスというバンドがデビュー当初からオールディーズを看板にしていて、女性ボーカルの女の娘はポニーテールの50年代ファッションで、芸名をコニーと呼ばせていた。勿論、バックバンドの楽器を抱えた男たちもリーゼントで50年代ファッションを気取っていた。このコニーという芸名は、コニー・フランシスから取ったもので、あの当時、僕はTVを持たなかったからラジオで彼らの楽曲を聴いていたが、コニー・フランシスなどのオールディーズをよく歌っていた。この後、僕は群馬県の田舎のレコード屋さんで、やっと、コニー・フランシスのオリジナル英語版ドーナツレコードを買った。僕は20代の半ばくらいだったんじゃないか。ドーナツ盤のA面が「バケーション」で、B面が「可愛いベイビー」だった。
しかし、「誰でもピカソ」で聴いた弘田三枝子さんの「バケーション」は何十年ぶりで、懐かしくて嬉しかった。昔々の僕の幼少時代、弘田三枝子さんは確か、田辺製薬の滋養強壮薬剤、アスパラのCMをやっていて、元気いっぱいパンチの聴いた声で「アスっパラで行こう!」と叫んでいた、と思う。その頃や「バケーション」を歌っていた時代はふくよかにちょっと太った健康体で、再び「人形の家」で出て来たときにはびっくりした。「人形の家」では本当にフランス人形のように細身にスマートに、ちょっと痩せ過ぎというくらいになっていた。メイクもばっちり厚化粧になり、衣装も洋風ゴージャスドレスになっていた。懐かしいなあ、あの時代。
「たけしの誰でもピカソ」という番組は、こういう企画だと視聴者は年寄りが多いだろうなあ。年寄りというか、50代以上が多くなるんじゃないかなあ。ノスタルジー番組みたいで、ね。
この回は、遅咲きの漫談の異才、綾小路きみまろが司会を行い、ビートたけしたち当時の売れないドサマワリの芸人たちが巡業していた頃の時代のキャバレーを再現して、昭和歌謡と演芸を見せる、という趣向で番組を進めていた。昭和40年代とか50年代頃のキャバレーでしょうね。キャバレーといっても、あの時代の安くてコンパクトなキャバレーチェーンではなくて、グランドキャバレーみたいなところなんでしょうね。ステージがあって、ショータイムがある‥。
僕は、サラリーマン新人時代の若い頃、会社の先輩に連れられてよくキャバレーチェーンには行ってましたが、グランドキャバレーみたいなところにはとうとう終生行かず終いですね。
「誰でもピカソ」という番組は、内容によっては真面目にちゃんとした、芸術家やアーティストを、そのアカデミックな作品と共に紹介する番組になっているが、各種お笑いや昭和歌謡など、ノスタルジックなエンタティンメント路線の内容のときも多い。回の内容によっては視聴者の層が違うかも知れないな。









