週刊誌の企画記事の中で、斉藤環さんという精神科医の方が、ひきこもりの青少年を庇うというか、擁護、援護するような論旨で、現代のひきこもり者論を書かれていた。多分に雑誌編集の企画に沿った、いわば逆説的な論法とも取れるような書き方だ。短い文だけど。
論旨を箇条書き的に挙げて行くと、
1.ひきこもりの子は家でのうのうと暮らしている訳ではなく、日々、焦りや不安と葛藤している。
2.ひきこもりの子の選挙投票率は高く、普通の若者より圧倒的に高い。ひきこもり者の8割がた、同世代の約2倍の高投票率がある。だからそういう意味では社会参加しているし、またその意志も持っている。
3.ひきこもりの子が居るおかげで、日本は、治安維持に掛けるコストを抑えることができている。日本の青少年犯罪が諸外国に比べて、圧倒的に少ない。海外では、若者が世の中に適応できないとわかった時、反社会行動に出る。その点、日本の子たちはおとなしくひきこもってくれて、犯罪に手を出さない。そういう意味では、日本の子は平和社会に貢献してくれている。
4.ひきこもりの子は、地球環境にとても貢献している。ひきこもり者は消費活動が活発でないため、非常にエコな暮らしをしている。普段から自動車には乗らないし、交通機関も利用しなく、エネルギー消費の節約に貢献している。ひきこもりの子は本当は、世間で言われているようには、あまりパソコンを使わないしTVも見ない。だから電力消費の節約にも貢献している。
5.社会との関係を絶つことで、創造性を爆発させる、芸術家や哲学者が生まれることがある。 ・・これは、ひきこもり生活の中で自分と対峙し続け、内なる自分を育てる、というところでしょうか。
斉藤環さんのこの記事文では、最後に、「ひきこもりの子は、胸を張って親のスネを齧ればいいのです。どうせひきこもるなら堂々とひきこもって良いのです。ひきこもりの子を持つ親も、外出しろ、働け、などと、解りきったことを言うのはもうやめましょう」と結んでいる。
ひきこもり者の、世間の見る目は、一般的に、義務を果たさないで権利だけを主張している、親や社会に甘えた怠け者、というのが定義ですよねえ。自分の暮らす家庭に経済的余裕があるのならば、ある期間、社会とのつながりをシャットアウトして自分を見つめて過ごすのも良いのかも知れませんけど、それは普通は、高校生活3年間とか大学生活の間で済むんじゃないですかねえ。ああ、そうか。ひきこもりの人たちは、社会とシャットアウトするんだから、学校にも行かないんだ。評論家の宮崎哲弥さんは登校拒否して学校に行ってない時代があったそうですね。詳しい事情は知らないけど。
ひきこもっていて、社会に出なければ、何処か職場に身を置かなければ、という焦りを持ちつつも今日も一日部屋でじっとして過ごしてる、という人は、プライドが高いけれど自信がない人、だという話を聞いたことがある。
阪神大震災の折、ボランティア活動で活躍した若者たちには、普段ひきこもり状態にあるニート者が非常に多かった、という話も聞いたことがある。
青少年期の一定期間を、社会との関係を途絶して自分だけの世界に籠もり、多くの本や映画だけで過ごし、自分を見つめ続けて考え続ける、というのも良いような気もする。そのまま芸術家や学者になる人はいいけど、いつかそこから脱出しなければならないし、あんまり長い間ひきこもり状態でも困るんだろうけど。でも、学者も今は芸術家も学校に行って学位を取らないと、実際的には道はないですよね。
この期間に内なる自分を育てる、という何か精神的な成育期間のような、意味合いもありそうな気もするけど。
昨年春頃の、NOVAの英国人女性英語講師、リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件で逃走中の、市橋達也容疑者は、国立大学4年制を出ながらも親の援助で28歳になっても仕事をせずに、ニート生活をしていたしな。ああ、あれは英会話を習ってみたりしてるけど日頃プラプラ遊んで居て、純粋なひきこもり者ではない訳だ。それにしても今は何処に潜伏しているのだろう。英国の家族は口惜しくてたまらないだろうなあ。
社会的にも、ひきこもり者はそのままでいいという訳にはいかないだろうけど、数字的にはまだまだ少数者だろうからなあ。ひきこもりばかりでは生産社会は当然成り立たないだろうけど。
斉藤環さんて精神医学の先生は、思春期青年期の精神病理学が専門で、社会的ひきこもりを研究されてる方だから、週刊誌の文章は企画に沿って逆説的に書いてるけど、この内容は先生の優しさみたいなものですね。やがてみんな歳を取るしなあ。ひきこもり者の皆さん、焦らずに、頑張ってください。おまえに言われなくても解っている、ということだろうけど。
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