小川洋子著 「薬指の標本」他一篇を読みました。 ★★★★★
二篇とも一気に読みました。
「薬指の標本」の方はフランスで映画化され、近々日本でも公開される。
標本というものに人はどんなイメージを持つだろうか。
学生の頃、理科室などで、アルコールづけになっていた気味の悪いもの、 めずらしい蝶や昆虫を捕まえて薬を注射し、からだの中心にピンを刺して箱に閉じ込めたもの。
私にはそれは、途切れた生をそのまま閉じ込めたもの、死とは違うものに思う。
取り壊しを待っているのかと思うような古い洋館にその「標本室」はあった。
主人公の"わたし"は 偶然 貼り紙を見て、ここに努めることになる。
この広い建物で働いているのは経営者でもあり標本技術者に"弟子屈氏"と"わたし"だけ。
そこには、様々な来訪者が標本にしてもらいたい品をもって現われる。
「私の家の焼け跡に生えたきのこです」と依頼してきた少女。
楽譜を持って訪れた美しい女性は別れた恋人の作曲した「音」を標本にして欲しいと。
標本を依頼した者は、何故か出来上がったものを受け取りに来ることはない。
封じ込めておいてもらいたいのである。
古い洋館の空き部屋は次第に標本の置き場になっていく。
"わたし"はここに来る前に務めていた清涼飲料水の工場でちょっとした事故にあった。
大忙しのある日、サイダーを溜めたタンクとベルトコンベアーの接続部分に指を挟まれ、ふと気がつくと、噴出した血がタンクの中に流れ込み、サイダーを桃色に染めていた。
だから、"わたし"の薬指は先が欠けている。
ある日、"わたし"は"弟子屈氏"に「黒い靴」をプレゼントされる。
彼はこう言った。
「これからは、毎日その靴をはいてほしい」
「電車に乗るときも、仕事中も、休息時間も、僕が見ている時も見ていない時も いいね」
あまりにもピッタリなその靴は"わたし"をどう変えてゆくのか。
洋館の地下には"弟子屈氏"以外誰も入れない「標本技術室」がある。
以前、ほほの火傷の跡を標本にと望んだ少女が入ったまま出てきたのを見かけなかったが…
やがて"わたし"は、この薬指を「標本」にしてもらうために、その「標本技術室」の扉の前に立った。
"わたし"自身の彼への気持を閉じ込めてしまうために。
「解説」で布施英利氏はこう書いている。
「小川洋子の小説では、しばしば体が消えていく、ことが描かれている」
別の小説の中ではこんな一文もある。
「考えたって、考えなくたって、消滅はやってくるわ。」
私はこうゆう余韻の残る小説 好きですね
この小説がどんなフランス映画になったか、楽しみにしている。
Nishiwakiさんは、どんな風にテーマを決めて、想像を膨らませて小説をお書きになるのでしょう?
”薬指の標本”もフランス映画になるのですね
上演したら見にいきと思っていますがが がっかりするかも
なぜなら” ダビンチコード”も映画みたら わからなくなって。
本を読むのみの方が 歴史がなぞめいて きて 面白かったのでーー