12' プリント16
2012-05-12
2009年あたりに撮ったネガを中心にプリント。撮った当初は全体の中ではまらなかったネガが、今になって浮かび上がってきたりする。現場で何を見ていて、それがどういう意味を持つのか、全体の枠が定まってきたので、やっと見えてきたのか。
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京都(豊国神社)
2012-05-05
出町柳から七条まで移動して、豊国神社に。豊臣秀吉を祭った神社。神社の前に、秀吉の朝鮮出兵時に持ち帰った耳や鼻を埋めた耳塚があります。昭和20年ごろには耳塚の前の広場?、今は柵に囲まれ広場状になっているところ、は畑になっていたそうで、耳塚の上に立つ石碑も壊れそうになっていたのを、補修したもんだ、と聞きました。方広寺大仏殿の跡地に豊国神社は作られているので、石垣が大層立派なのですが、神社の入口階段脇のスロープのような石は方広寺の時代からあるそうですが、傾斜が丁度いいのかみんな滑って遊ぶので、人のお尻が丁度はまるようの感じで石の表面に跡がついているそうです。最近は鳩まで滑って遊びよる、との話も聞きました。宵の頃に雨がぽつぽと降ってきて、遠くに雷も見えましたが、大阪に行くと雨の気配あ全くなし、盆地の気候はちょっと違うのかしら。
振り返れば、2008年に撮り始めた頃に撮ったところはほとんどが再撮影になってる。全体像を全く描かないで色々とやってたからな。
この近辺は人はそんなにいませんでしたが、帰るのに四条河原町に出たらすごい人出で、さすがは京都てなもんです。
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京都(梨木神社)
2012-05-05
三条実美を祀った神社。五摂家の一つなので御所のすぐ隣に屋敷があったようで、(確か・・・)三条屋敷の跡地に神社が建っていた、はづ。御所の緑と神社の緑がつながって、御所と神社の間にある道は舗装されていないので、ここだけ都会でないみたい。でも、薪炭が主燃料だった時代には、京に木が鬱蒼としている場所がどれくらい広がっていたのか?などとも思ったり。GWだけあってマイナーな梨木神社にも御所から出てきた人がそこそこ来たりしてました。
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高知(山内神社)
2012-05-05
高知の山内神社は始めて訪れる神社。三宮から高速バスで高知へと。淡路島や吉野川を久々に走って、四国の山の険しさを改めておもう。池田辺りまでは雲がかかっていたけど、高知に着くとすっかり晴れ。結構暑い。高知は6年ぶりくらいで高知駅がずいぶんとハイカラになっていて驚いた。
山内神社は殿様だった山内容堂がメインに祀られた神社。思ったよりも小さかったけども、神社の森はこんもりと茂っていた。幕末・竜馬観光の地図にも出ているので人はぽつぽつと来てました。始めて来た処だったので、意外に時間がかかり4時間位滞在。別の場所に行く余裕は無し。
帰りは高知駅6時10分発の高速バス。四国内は順調だったけれども、淡路から少し混んで、海峡大橋の直前からエライ渋滞。しかもバスの運転手が山っ気だして、PAに入って本線に戻って少しでも距離を稼ごうとしたら大はまりで、ちっとも動かず。本線にいればちょっとでも前に行ったのに1時間かけてほとんど進まずPAの入口から出口まで移動しただけという結果に。橋をやっと渡ったら、今度は三宮方面に行く第二神姫道?の分岐で愚直に左折レーンに並び続ける、よー判らん行動に。右二車線は空いていて三宮行きの別の会社の高速バスがどんどん通過していく。。。気付けば、後ろには高知発東京行きの夜行バス、19時40分に高知を出たバスに追いつかれるというのは、休憩時間を勘案しても、ありえんだろー。結局10時20分着予定が、12時40分着で終電が7分前に出た後と言う微妙な時間。そこからしょうがなくタクシーですよ。運転手の判断ミスで終電に間に合わんかっただろーとJRバスに、タクシー代返せと、文句を言いたい。
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神戸(湊川神社)
2012-05-03
大楠公をまつった湊川神社。水戸光圀が建てた正成顕彰碑があって、そこ建てた神社。境内の端にひっそりと別格官幣社の碑や日露戦争生還記念碑などがあったりするのが戦前の名残でしょうか。今は新緑の季節で楠の若々しい緑が境内の空を覆ってました。宝物館で明治の楠公図のような展示をやっていて見たかったのですが、木曜閉館だったので見れず、残念。
その後は神戸市博物館で「南蛮美術の光と影」を見る。中国のように常に接触がった超大国でない、地球の裏側の西洋諸国とのファースト・コンタクトで日本にどういう影響が残されたのか、などという展覧会。南蛮図屏風、豊臣期に描かれたリアリティーをもった絵が、時が経つにつれ、実物を見れないのとキリシタン禁教の影響とで、想像上の外国人になっていく様子は、雪舟が中国に渡って身につけた水墨画が、鎖国の後日本的になっていく様とよく似ている。
神戸市博物館常設展の国宝の銅鐸を最後に見て、原始の衝動には敵わない、ことをしみじみと実感。
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敦賀(金崎宮)
2012-05-01
関西ワンデーパスを使って新快速で琵琶湖を左に眺めながら敦賀まで。湖西ホンダの看板を一瞬中国の車メーカーと空目。田植えも始まっていたり。滋賀と福井県境はかなり山なので、耕作放棄地が点々としていたり、廃墟の家とかもあったりします。
敦賀の街は高速建設と北陸新幹線の為の駅建て替えなど、土木もやってますが、原発の地元だけあって、矢鱈と豪華な施設や、原子力PR施設とか、すごい不必要そうな橋とか、商店街に設置された松本零士マンガキャラの銅像とか、色々と整っているのだけど、人はまぁそんなにいないというような。戦前はこの港から浦塩向けに船が出て、欧亜国際航路の出発点だったそうで、廃線になったっぽい敦賀貨物線にあったであろう駅から船に接続していたよう。下関の関釜航路と一緒だ。
こういうのとは関係なく、金崎宮の3度目の撮影をしてみました。途中から雲が切れて青空が見えたりして、かなり気温も上がったりました。
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(吉野神宮)
2012-04-30
天気予報はイマイチだったけど、吉野まで遠征。阪神なんば線に初乗車、だったけど地下だったので面白みが無かった。橿原神宮から吉野神宮まで1時間もかかるのをすっかり忘れていた。結構遠い。
駅から神宮まで歩く、以前より車通りが多いのは、千本桜の上の方がまだ咲いているからのようで。車の進入禁止なんてのもやってるようです。吉野神宮のあたりは紅葉の若葉がとても綺麗で山がみずみずしい緑に満ちていました。千本に行く途中なのか、観光客も途切れることなくやってきます。GWってのもあるとは思いますが。前に来た時は紅葉が終わった頃だったので閑散とした印象がありますが。3時ごろからポツポツ降り出し、そのくらいの時間で山から下りて、撤退。
帰りに畝傍山の麓、橿原神宮の隣にある慰霊の公園に行く。空母瑞鶴と海軍戦死者の殉国の碑があって、戦死者の名前がずらっと刻んであった。細かい字でびっしりと刻んであり、改めてその量に思いを寄せる。戦死者の追悼と戦争が持つ意味、戦死者以外が戦死者にくっつける意味など、色々こんがらがってるけども、国家による追悼は必要だよな。それは顕彰の為でなく、詫びであるbべきとは思うけれども。
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京都(建勲神社)
2012-04-29
今出川から52系統のバスに乗って船岡山へ。建勲神社の撮影。今回は神社だけというよりも、建てられた山への興味も出てきて、周辺の環境も含めて見る余裕が多少は出てきたように思う。神社だけでなく船岡山の周りをなんとなく巡ってみれば、船岡温泉といようなものを見つけたり、紀元2600年記念で建てられた神社の石標を見つけたり。近所の人達が道でたまたま出会ってしゃべたり、夕飯を作る音や匂いが漂っていたり、そこでの生活が道路を歩くだけで感じられる街の感覚が懐かしくある。
行きの阪急で坪内祐三の「靖国」を読んでいて、巻末解説で野坂昭如が靖国は東京のもんであって、自分は湊川神社とかが原体験であって、靖国については遠くて実感が湧かないと書いていたが、確かに関西で靖国とか読んでいてもイマイチ実感が伴わないように思う。現場と自分が普段居る場所の距離は中々に大事なことであるように思う。
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京都(護王神社)
2012-04-29
3回目位の護王神社。新緑が少し落ち着いてきた感がある京都。かなり気温高く、汗かきながらの行動でした。 御所の道向こうなので、道の反対側は緑の壁が延々と続いている。皇居も堀が無ければこういう感じに見えるものか?と思ったけど、あちらは松が多いからまた違った風情か。
こちらは境内に紀元2600年とか建国記念塔とか戦前のお札を拡大コピーしたパネルとか色々と飾ってあって、賑やか。今は足腰に御効能があるようで、足つぼの看板とか、奉納された?足型とかもありました。流石は京都で観光客もひっきりなしに訪れています。
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12' プリント15
2012-04-27
色の調整、焼きこみ作業。神社の写真で最終的に残ってくるであろうネガが確定し始めてきた。もーいい加減厭きたし、今年いっぱいで終わらせる。色が整うと良さがはっきりしてくる。部屋の照明やらで色味が変わるからプリント直後に色の正確な判断は未だ難しい。これもボチボチ進めていくほかなかろう。
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気仙沼市 3
2012-04-15
45号線で北上し、高台移転用にか?山の杉を大量に伐採している南三陸町を通って気仙沼市へ。ここも沿岸部の片付けはかなり進み、再建した工場もちらほらと見える。復興の仮設市場も何箇所かあったり、ホテイの工場があったり。町によって、少しづつ、色々と、差が出てきたようにも見える。
気仙沼は流された船を保存するようだけど、各市町村がこういう災害遺構を一つぐらいづつ保存して、将来三陸エリアを訪れる人がこのエリアを面として感じられるような仕掛けが作れたら、10年後くらいには財産になってくると思うなぁ。
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石巻市 6
2012-04-15
泊まった牡鹿の鮎川浜、同行者への案内がてら石巻の南浜町。久々に行くと、潮が溜まって入れなかった細かい道も嵩上げされ重機が入れるようになって、家の大部分が取り壊され、片付けられていた。海沿いには瓦礫の山が延々と続き、北上川を挟んで対岸の河口にはものすごい量の瓦礫が山となっている。
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女川町 3
2012-04-14
牡鹿から北にのぼって女川町。女川原発に。道が険しくて本当に陸の孤島のような場所。そんな場所にも、ちらほらと原発従業員用の大きなマンションが立っていたり、地元経済への貢献は多きいだろなぁと思わせる。海沿いの集落の仮設住宅が、ちょっとした平地にも建てられ、用地確保の大変さが偲ばれる。
Posted by inamiyaphotos 19:08:13│Comments(0) │TrackBack(0) │写真的日記
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