太平洋戦争末期に軍部が天皇や政府、NHKなどの各機関を東京から移すべく長野県は松代に地下壕が掘られました。着工したのは1944年(昭和19年)11月、それが翌1945年(昭和20年)8月の敗戦時まで工事は続けられ、当時の金で2億円の予算を使い、強制連行された朝鮮人約6000人と学徒動員された人々などを使役し、10キロ以上にわたるトンネル網を今に残しました。その一つが象山壕です。自由に中を見学できるのはここだけです。この他に舞鶴山地下壕、皆神山地下壕があります。
実際に中に入ってみて、高さ2m半ほどの素掘りのトンネルだけが延々続き、部屋がないことにちょっと驚きました。本当に突貫工事で作ったということがすぐに見てとれ、こんな場所に閉じこもって戦争なんかできるかよ、としみじみ思いました。沖縄戦といい、南洋での各戦闘といい、矢鱈と地下壕を掘って中に閉じこもっていますが、沖縄では自分たちが地下壕に入る為に住民を平気で殺したりしていますが、陸軍はトンネル掘とっきゃあなんとかなるとでも思っていたのでしょうか?正直、この程度のことしか考えられない連中だから中国・アメリカ・イギリスを相手に無謀な戦争やったんだなぁ、なんて妙に納得したりしました。
サイパン陥落後、本土空襲が日常化しますが「万世一系の天皇これを統治す」=国体を護るために、皇位継承の必需品である三種の神器を松代に移送する計画がありました。こうした事象を初めとして、戦争の終局時に考えられていたのは国体護持しかなかったわけで、そこには無差別都市空襲で日々焼き殺されていく国民という存在がいることは全く考慮されていません。明治憲法下において天皇のを、西洋社会でいう全てを超越する「神」=GODの地位に据え、宗教的かつ政治的に国民統合の核となる概念にしてしまったことが暴走し、天皇という一個人=国家、という構造になってしまったわけです。
ひんやりとしたトンネルを歩きながら、怒りや、恐ろしさや、情けなさや、色々な感情を抱きつつ考えたりしました。
参考→
松代大本営
休憩所でお茶を頂いている時に地元の方が、あそこじゃなくて松代には城跡やら武家屋敷やら、見るとこいっぱいあるから、と言っていました。やっぱり直近の戦争遺跡となると、人によっては、負のイメージがあるのであまり他所のひとに見せたくない、と思うようです。私は、この遺跡こそ整備して後世にしっかりと残すべきだと強く思いました。それこそ、世界遺産に相応しいではないでしょうか?