で、映画を見て知覧に行く事にしまして。
特攻平和会館に来ました。靖国神社の兄弟施設といった感があります。展示されているのは、復刻された戦闘機、死んだ特攻隊員の写真・遺書、です。当時の新聞・雑誌の切り抜きなんかもあります。基本的に若くして死んだ特攻隊員の尊い犠牲が今の日本の礎になっている、という趣旨の展示です。展示の遺書の中で死んで靖国に、先に九段に行く、天皇陛下万歳、七生報国、皇国の為に、と書いてある文が結構あり、当時の戦争国家の中で天皇=国体と靖国とが一体化して機能していたのが判りました。残された者は戦争での死に意味を求めるという科白が
父親達の星条旗に出てきましたが、日本では靖国に祀られていることで戦争での死は犬死ではなく国家の為に役に立つ必要な死だったのだ、という意味付けを得ることができたし、今でも当時の死に意味を求めている人たちがいる、という事でしょう。
しかし、特攻隊員の犠牲が意味があって、美しいと賛美されるのだったら、中国で戦った兵士であれ、沖縄で戦った兵士であれ、どこであれ戦争で戦った兵士は美しいし、賛美する存在となるでしょう。まあ、靖国はそういう場所ですが。じゃあ、戦争で人を殺した事は賛美されることなのか? 違うでしょう。そうではなくて、始まりとして戦争を否定すること、戦争は勿論、戦争の中での死は無意味であった、死に意味など無かった、ことを認めて→だからこそ人間の浪費である戦争はよくない、という風に考えることが必要だと思います。
国家を護る為に死んだ人間は尊い、とした場合にも、国家って何だったの?という時に当時の国家=天皇=国体ということも考えないといけないですし。特攻で死んだ人は国を護る為でなくて、兵隊だから上官の命令で行ったんです。志願もあったようですが、当時の日本の総戦争状態の中では、軍人を選んだ時点で、それしか選択肢が残されていなかったわけで、今の平和な状況で戦争行きを志願するのとは全く違う意味合いでしょう。お国の為に死んだ特攻隊員を賛美するのではなくて、なぜ、「国」は特攻が必要となるほどの戦争を遂行したのか?そこをしっかりと見つめ、考えていくことが大事なんでは、と思います。