高速沿いに場所探しをしながら歩いてますと、薄の穂が大分出てきまして、秋も深まっていく山形です。田んぼが広がる庄内平野から月山を越えますと、ぶどう、さくらんぼ、といった果樹がかなりを占めるようになりまして。平野は米で、丘陵は果樹、山には林、と、本州にきますとどこに行っても人の手が入ってない場所がほとんどなくなる印象を受けます。本州ではどこを走っていても、どんなものであれその場所の過去やらなんやらについて書いてある看板(江戸時代に建立された寺、とか)が随所にあって、その場所の歴史を感じさせられます。ちょいと前ですが、雄勝で後三年駅を通った時なんかに、それを感じました。北海道にいる時には、その場所の開拓記念碑はどこにいっても見ましたが、開拓前の歴史について、(アイヌの歴史になりますが)、触れたものというものは全く見かけませんでした。目にしたものは最近立てられた河川名を書いた看板に、アイヌ語の語源が書いてあるのぐらいでした。触れられないという事は、存在しなかった事と、ほぼ等しい意味となってしまいます。特定の過去についてあえて触れないようにすること、もしくは、過去について知ろうとする努力をしないということは、今現在自分自身が未来へと進んでいく方向を間違えて選択するのではないのか、と思います。