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2006-06-26

ここ一週くらいのニュースで、自分の家を燃やしたり、人を生き埋めにしたり、また、これは加害者でなく被害者ですが、公然と人に対して死ね、と言っているのを見たりと、なんだかまあ、賑やかしい世間です。生き埋めを聞いた時は、流石になんじゃあそりゃあ、と思いましたが、一番違和感を覚えたのは「死んでくれと言っているんです」という光市の被害者の言葉です。たしかに感情面として理解できるような気もしますが、殺したんだから死ね、と言うのは短絡すぎやあしませんか?
 私的には、そもそも、人を殺すコトを禁じている国家が、法の名のもとに人を殺すコトがオカシイと考えています。合法殺人ができるからこその国家だ、という意見もありましょうが。
 世間様(←イヤな感覚ですが)から外れてしまったモノ、外れるような行為をしたモノ、世間の基準で理解できないモノは排除してしまえ。とした時に、その境界はどこなんでしょう?人の中には色んな要素があって闇も光もごった混ぜになっているものです。オウム裁判のように極端な事例であっても、悪いのはわかってんだから殺しちまえ、の前に、なぜ?どうして?そのような事態になったのか?を徹底的にやる姿勢は持たんとあかんやろと考えとります。
 生命が軽いのは昨今のコトでなくて、新聞(速報的ニュース)ができて以来人がずっと思っていることだと思いますが、だからと言って、そんなもんさ、と割り切れるワケでもなく、ただ、自分、他人が、生きているコトの重さを受け止めることのできる想像力をもっと喚起できるようにしていかな、と思ったりしてます。
 ああ、まとまんないなあ・・・・

Posted by inamiyaphotos 22:25:32 │Comments(2)TrackBack(0)

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Posted by ほんにん at 2006-06-29 22:12:45

神の視点という点では、欧米では世俗化が進んだとはいってもまだかなり内在化していると思います。
 が、日本は戦時期に国家神道に一本化し、天皇=現人神制国家としていたのが、一気に解体し、その後は金が天皇の位置を占めるようになった、というような社会でしょう。人は動物の一種で自然環境の中で生きている存在に過ぎない、というような自己を客観視する視点は都会だけで暮らしていると中々見につかなくなってきています。都市への人口集中と、インターネットの普及から情報の個人選択がきくようになり自分の身の回りにお気に入りだけを配置して、その中で安住していく、蚕が繭を紡ぐように生きているのでは、やっぱり、自分とは違う視点を持った多様な人が世界にはいっぱい住んでいる、と考えるようになるのは難しいでしょう。都市の飼いならされた自然ではなくて、生の自然の圧倒的な存在を感じることができれば、自分自身を捉え直したりもできると思うのですが。人格的な神でなくとも、何か人以外の圧倒的な存在というものを感じる機会がもっとあれば良いのですが。

Posted by 千姫 at 2006-06-28 00:57:29

死刑の事ですね。
私はやっぱり『人に人は裁けない』という考えです。
無期懲役が決定されても、また違う機関が刑期を短縮してしまう。
死刑と無期懲役の実際の刑の重さの差がありすぎると思います。
終身刑、累進刑の導入を早める必要があるのでは?思っています。

一般的に日本人にとっての罪とは法的な罪であって
精神的な例えば(神に対する)罪なんかは存在しにくいですね
誰も見ていない時などの、恐い者が居ないのです。
小さいうちからの必要性を私は感じています。

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foaf プロフィール

プロフィール
名前 稲宮 康人
e-mail photo_inamiya@yahoo.co.jp
性別
職種 その他
生年月日 1975 / 3 / 26

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