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●FLAT WOUND STRINGS

2007-08-11

58114.jpg

PJプレベの弦を’D'Addario’の
HALF WOUNDからFLAT WOUNDに張替えた。

HALF WOUNDは全メーカーが製造しているわけではない。
音の鳴りも少々硬いがわりと良かった。
でも、それより指腹の感触(引っ掛かり)がどうも気になった。

それは、ナイロン弦が標準仕様のセミアコベースを購入してからは一層顕著になった。
2本のベースを交互に使うと感触の違いが大き過ぎる。
大きなブランクが開く前はロトサウンドのROUND WOUND弦だったからもっと表面が粗くザラツキは大きかったが、ヘンな引っ掛かりは無かった。

最初から別物と割り切って使えこなせたらいいんだろうけど
僕はそんなに器用ではない。
エレベ×セミアコ、ヘレットレス×フレレテッドの違いだけで十分。

高校時代はズットFLAT WOUNDだった。
感触はその時以上に良好。
当然、音も。
望んでいたイメージに結構近い。
というよりもっとマイルドというか、ボヤけた音も覚悟していた。
評判どおり’D'Addario’は安価な割にはお奨めかも。

しいて気になるのは、指先でアタックを強い弾いた時に金属的な芯の残った様な摩擦音も鳴ることだ。
これは腹側で弾くとそれは解消される。
それなりの慣れを要するのか。
’D'Addario’だけの特性なのか。
どうなんだろう。
ちょっと研究の余地ありだ。

それから、弦端糸の色が枯れた明るい青というのがなんともチープなイメージでいただけない。

いずれにせよ弾き易さは格段に向上したので
しばらくこれで練習に励もう。

Posted by curodo 21:35:46Comments(1)TrackBack(0)楽器・機材とか

●スティーリー・ダン

2007-08-08

”ドゥー・ビィ・ブラザース”と比較されることが多かった”スティーリー・ダン”。
それってなぜだったんだろう。
音楽的には全然共通性が無い。
言えるのは契約社員の様な存在だった’ジェフ・バクスター’と’マイケルマクドナルド’が途中から抜け出て
ドゥー・ビィ・ブラザース”に行ったことくらいか。

さて”スティーリー・ダン”というバンドというかユニットは中学生時代からかなり気になっていたのだが、資金不足や周辺で誰も聴いていなかったのでずっと遠巻きに眺めていた状態だった。
代表的な数曲はラジオで聴いていたこともあったかもしれない。
「爽やか革命」あたりから気になってはいたんだけど、アルバムで最初に聴いたのは超ヒットの「aja」でようやくだった。
今思えば、もっと早く手を出しておくべきだった。。

Aja

じゃ音はというと、軽快でチョイとファンキーでロックなの??かと思える、なんともお洒落なものだった。
で粘り着き、絡み着くような乾いたボーカルが独特でかなり印象的だ。
ボーカルはぜんぜんファンキーではないのだが、音楽に乗っても違和感がない。。(J系のだとたいてい違和感だらけ)



こんな感じの音楽はそれまで聴いたことはなかった。
今になっても現れてこない。空前絶後ということか。
今でも大好きで全てのアルバムをよく聴き直す。
じゃ、一番はどれ?と聴かれると本当に悩んじゃう。
全部聴いたほうがイイ。
前期のジャケデザインは一捻りあって後期と逆の意味でイカしている。

さて、この時、前述の契約社員はクビになり、
メンバーはボーカルの’ドナルド・フェイゲン’とギター係の’ウォルター・ベッカー’2人になり、演奏はほぼ完全に外注ゲストミュージシャンにより制作された。
これがフュージョン界のトップばかりの凄腕の面々。
この究極の合理的スタイルが今でも継続されている。
実際には、”スティーリー・ダン”は最初からこの2人だけだったのだと思う。
チェリッシュの夫婦みたいなものかも。(今日はたとえが冴えていない)

このアルバム、ナゼか楽器をやらない連中には頗る評判がよく、借りてが殺到した。

ちょうど3年生になった頃で理系クラスから落伍して我クラスに来た’H野’がかなり気に入っていた。
彼は’K田’と同じサッカー部で清水市内の高校サッカーのまさに底辺を支えていた。
如才ない男だったので直ぐに仲良くなった。
服装にかなりこだわる男で、僕も影響された。
悪いVAN系ファッションを’Jちゃん’からレッドカードを出され、流されるようにウエストコースト脳天気系に足を踏み入れていたが’H野’のおかげで’JUN系’に軌道修正していった。
これには’Jちゃん’はイエローカードを時折カードをちらつかせていたが迷っていたようだった。
今で言うと、微妙なところだったんだろう。

’H野’とは3年生の1年間を2人でクラス委員を務めることになり、楽しくも笑える思い出が多い。

それについては、またいずれ。

Posted by curodo 21:40:20Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・FUNK-tic

●Immigrant Song

2007-08-06

前回のプロレスつながりで
学生時代、後輩の”K刀”と二人で横浜文化体育館にNTVの「世界最強タッグリーグ戦」スタン・ハンセン+故ブルーザー・ブロディを目当てに見に行った。
対戦相手は確か前回紹介したリッキー・スティンボート組だったと思う。

”K刀”が僕に「”Cさん”カラダをペシペシ叩きにいこう!」と無謀な発言。
既に花道には大勢のアホでひしめいているじゃんか。

「ソリャ無理だろ〜」と諦めさせようとする。が、
「せっかく来たじゃ、行こし、行こし」としつこい。
そう、彼は甲州人だった。

アホ連中の中をもっとアホが割り込み掻き分け最前部まで進もうとする。
ハンセンの入場曲は”K刀”が好きな”スペクトラム”の「サンライズ」、
僕はブロディのファンで”レッド・ツェッペリン”の「Immigrant Song」が入場曲だった。

Led Zeppelin III




しかしイントロからボーカルパートは金管楽器の演奏にアレンジされている。
ニックネームが”キング・コング”だしホーンでもイメージには合わなくは無い。

さて、無理無理の顰蹙を買いながらながら、ジワジワと前進を続ける僕らアホ達であったが・・・
あのイントロが・・そして「Immigrant Song」が ”プゥワァア~~.パ=!” と鳴る 。
一同(僕らも)、「お"=!!」という大歓声が沸き起こる。
う〜ん、やはり最前列には到達しないじゃないか。
と思いつつ、入場口の方を見ると・・

通路も花道も何も無い状態だった入場口付近の群衆が・・
”モーゼの十戒”の海の様に凄い速さで二つに大きく割れ始めた。
それを見た僕等は再び、「おぉー!」。
そのわけは例の入場だった。
ハンセンがロープ、ブロディがチェーンを振り回しながらドンドン進んで来るじゃないか。
すると僕らは三度、「お”ぉ=!!!!」と奇声を発することに。。
割れた海に呑み込まれながら自らも波となって崩れ落ちた。。
カラダを叩くどころか無残に自爆。
観戦は試合前から大エキサイト。
ヘンに満足して帰宅。

後日、仲間とTV観戦で二度楽しんだ。
目標までの距離は程遠く、台風にさらされた稲穂の様に薙ぎ倒されている、無様でアホな姿が映し出されていた。。

Posted by curodo 20:20:24Comments(0)TrackBack(0)*今もたまに聴く・R&R-tic

●パブロ・クルーズ

2007-07-30

”Jちゃん”と付き合い始めてから、僕は相当リニューアルされてしまった。
入学当初は、MEN’S CLUB風IVY系ファッションを目指しパーマをあてた。
しかし、それでは悪い上級生ロックンローラーの仲間に引き入れられる、ということでダメ出しされた。
パーマを落としたとき、クラスの一部女子から逆ダメ出しされた。
おいおい!世論はいったいどうなっているんだ??
しかし、人生最初の分岐点で僕は”Jちゃん”を選び、自ら退路を断ったのである。

う〜ん。
今思えばそれほどタイソウな事である。
何故ならば、そのままのスタイルでいたら、2年後に”ジャー・ストラマー”か”ミック・ジョーンズ”みたいになれたのに残念!
でも15歳からそのままずっとパーマでいたら、今頃同級生のように脳天が薄くなっていたかもしれない・・・

”Jちゃん”はシッカリ者で僕をグイグイ引っ張ってくれるので楽といえば楽だった。

僕も脳天気高校生活にスッカリ浸り、この青春を謳歌してみようかと、まさに甘い考えをしていた。
更にこの頃、サーフィンでもやってみようかと・・血迷った。
お揃いでライトニングボルトやOPのウェアやを買っちゃったりして。

従って、音楽は”カラパナ”か”パブロ・クルーズ”を聴かなくてはいけなかった。

絆(ライフライン)

サーファー風プロレスラー、”リッキー・スティンボート”の様な顔のメンバーが印象にある。
今は曲を全く思い出せないのだが、いかにも脳天気なサウンドだった。



別のアルバムで「ワールド・アウェイ」は少しだけが記憶にある。
今はチョットも聴きたいとは思わない。

甘っちょろくも優柔不断だったことが如実に現れていた青春時代であった。

Posted by curodo 23:39:52Comments(0)TrackBack(0)*今はもう聴けない・POPS-tic

●マイルス・デイビスのジャック・ジョンソン

2007-07-26

前回の”ジャック・ジョンソン”つながりで、’70年にサントラ版として録音された帝王マイルスのアルバム『ジャック・ジョンソンに捧ぐ』。

そうだよ本来”ジャック・ジョンソン”といえばこっちのことだよ。
タイトルの”ジャック・ジョンソン”はプロボクシング黒人最初のヘビー級チャンピオン。

このアルバム、安いギャラで適当につくったらしい。
が、それでもロックアルバムとしたら凄いんだからどうしよう。
そう、マイルスがこのアルバムで演った音楽はロック。

ジャック・ジョンソン

このころロック側からジャズへアプローチ、ジャズ側からロックへのアプローチが始まった。
実をいうと、僕はこのあたりの新しい何かを模索するような姿勢で作られた音楽が一番好きだ。

そこで帝王マイルスは最高のロックバンドを演ってやろうとこのアルバムが制作されたようだ。
A・B面1曲づつ、計2曲の構成。

マイルスのソロは当然にカッコイイ。
が主役は帝王以上に”ジョン・マクラフリン”。
カッティングギターが切れまくり、ソロ弾きまくりの「Right Off」は後にジェフ・ベックが「Freeway Jam」としてそのまま拝借しているんじゃないか?

それにしても、特に本作前のあたりの時期からの音楽は先見性、先進性の秀逸さが顕著。
とにかく新しい上に、今聴いてもとんでもなくカッコイイ。
それは多くの有名どころがフォロワーとなり、モチーフまたは真似をしていることで立証される。

マイルスの作品には著名な競演プレイヤーがあまりに多いので随時紹介しようと思う。
というか、彼らはみんなマイルスが有名にした様なものだけど。

”ジョン・マクラフリン”もいいのだが、やっぱりジミ・ヘンとの競演を見たかった・・・

合奏+合掌

Posted by curodo 19:25:34Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・JAZZ-tic

●ジャック・ジョンソン

2007-07-24

洋楽履歴氷河期を乗り切るために考えた。
過去の履歴に割り込み、今日は現在のユルイ系の王道”ジャック・ジョンソン”。

新譜にまるで興味の無かった僕がなんで?
というと、前回の”ジャクソン・ブラウン”つながりでということで・・・

どこが!?
というのはじつは数年前HMVであてなくCDをみて時「J」のコーナーで”ジャクソン・ブラウン”か〜
「ホールド・オン」以降は買っていないな〜と思いつつも【NEW】というステッカーを見て、騙されたと思って買ってやれ、と購入した。
帰宅し早速CDプレイヤーを回すと、イイ感じの生ギターのイントロが。。
うーんコリャ当たりか! と。。
さらにドラムが加わるとなんか以前とは違うフレーズだな・・暫く聴かない間に新しい作風を身につけていたのか?
ところが・・ボーカルがでたら声まで変化しているじゃないかい!
暫し頭の中が混乱。。
ありゃ、こりゃどうもおかしいな。
CDジャケを手に取りよく見ると(というか、よく見なくても)”Jackson Brown”ではなく”Jack Johnson”で、タイトルは「Brushfire FairlyTales」だった。

ブラッシュファイアー・フェアリーテイルズ

写真は、雨の中レインパーカーのフードを被り上目使いのチョビヒゲに随分イメージが違うが・・時間の経過で心境も大きく変化したのだろうと思いこんだ。

でもタナボタの結果オーライ!

完全に勘違いだった。
シンプルでアコースティックな演奏に力の抜けきったボーカル。
ハワイが活動拠点ということで、最近の僕の好みのテーマに近い音だナチュラルなつくりだ。

結構気に入り、その後も「On&On」と「Thicker Than Water」、DVD「The September Sessions」も購入。
ミュージシャンで映画監督でサーファーって肩書きはカッコいいじゃんか。



というわけでひょんなことから
”ジャック・ジョンソン”はそこそこの愛聴盤になった。

こんなこともたまにはある。

Posted by curodo 20:36:11Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・FOLK-tic

●ジャクソン・ブラウン

2007-07-23

”Jちゃん”がホニャホニャ軟弱路線に進み始め、どうしたものかと思ったのだが
A型の僕は、O型の彼女の言うことに付き合わないわけにはいかない。

新作『プリテンダー』を買ったというので一緒に聴いた。

プリテンダー

それは優しく、物悲しく刹那い曲のオンパレードだった。
が彼女と二人で聴くには今までと違った雰囲気もできいいかもね。
と、思ってしまったのが敗因だった。

バンドの”S茂”まで前作『レイト・フォー・ザ・スカイ』を買う始末だ。

Late for the Sky

まぁ、彼はポール・マッカートニーのバラッド好きだからそんな要素はあったんだけど・・・
それに実際、”ジャクソン・ブラウン”の楽曲も声も素晴らしいものだった。



ただし、これ以降、ロック度、ポップ度は増していく。
これまでの様に演奏の仕上げはシンプルな方がいい。
楽曲もいいんだけれど今までと同様で新しさは無い。
「一家に一枚”ジャクソン・ブラウン”。でも一枚でいいよ、どれもほとんど同じだから。」と”S茂”が珍しく皮肉を言っていた。

それでもどんどん古いほうに遡って聴いてみようという事にした。

そんなわけで、彼女に導かれつつ僕はすっかり骨抜き軟弱路線に引きずり込まれていくことになってしまった。

さ〜て、この後からが問題だ・・・

Posted by curodo 21:29:44Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・FOLK-tic

●洋楽氷河期('76)

2007-07-22

高2の頃、僕は何を聴いていたのか、
どうも明瞭には思い出せない。。
これは何故か?

今から考えると僕の洋楽氷河期だった。
それまで聴いてきたバンドも衰退傾向に陥っていたし、
新しいバンドもただポップなだけ。
ゾクゾクして踵が浮き上がる様な感覚になるものは無かった。

何か新しい感覚のものを欲していた。
が、しかし、それが無い。
出てこない。

よくよく思い起こすと、
”Jちゃん”がホニャホニャ軟弱路線に進み始め、
A型の僕は、O型の彼女の言うことに素直に付き合いながら
他愛の無いやつを摘み食い、とう時期が続く・・

このブログも、これからしばらくは書くのが辛い期間が続きそうだ。

Posted by curodo 19:00:50Comments(0)TrackBack(0)さて・・

●バンド vol.5-1

2007-07-21

高2の夏休み"H馬"から、地元の会館を借りるので合同練習をしようぜ、と持ちかけられた。

我がバンド(今考えればバンドの名前も無かった)のメンバーは当初の3名以外は流動的だった。
ボーカルが固定していない。

今から思えば、だったら3ピースでガンガンやるくらいの覚悟があれば良かったかも・・と

その頃は、同じ中学から同じ高校に進み同じクラスになった"K又"が僕らのバンド練習に遊びに来ていた。
遊びという理由はラグビー部に所属し正月の全国大会に何度も出場する厳しい部だったし、実際に1年・2年・3年時と連続出場した。

そう言うなら、僕らも勿論遊びの域だけどね。
彼は中学時代は"かぐや姫"とかのフォークソングばかり演っていたが、ストラトをどこからか調達してきて、息抜きに演っていたんだと思う。

と、前置きが長くなってしまったが続きはまた今度。

Posted by curodo 23:11:02Comments(0)TrackBack(0)バンド・練習とか

●シカゴ

2007-07-18

ブラスロックバンドつながりで、”シカゴ”。
なかでももっともポピュラーでポップな路線。

最初に聞いたのは中3の頃、FMでの特集だった。
「長い夜」や「サタデー・イン・ザパーク」がかかっていた。



「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」なんて邦題の曲もあった。
そのうちにベストアルバムが出たんでとりあえず購入した。

Chicago IX - Greatest Hits

でもいつも聞いていたのは、さっきの3曲を含め4〜5曲程度だけだった。
「長い夜」はロックっぽいし、それにホーンセクションが加わり
これがブラスロックといわれたら非常にわかりやすい楽曲だ。
が、感じの悪い禿げで北海道出身の元フォークシンガーの同名曲があるのでお間違いのないように。

その後バンドはどんどんポップ路線を進み、
ヒット曲はバラードばっかりの他愛のない骨細グループになってしまった。
まるで平井鰹みたいな。。

Posted by curodo 21:54:07Comments(0)TrackBack(0)*今はもう聴けない・POPS-tic

●BS&T

2007-07-14

”地と風と火”が出たんで今回は・・・
”血と汗と涙”。
って、”巨人の星”みたいなスポ根ものを思い出す。
ベタなネーミングのバンドだが。
ブラス・ロックの創世記に活躍した。

ホーンセクションが入ってロックとジャズが融合しブラスロックとも呼ばれた。
この掛け合わせは’60年代後半から盛んに試されたが表現方法や完成した音楽は多様。
その頂点はなんといっても帝王”マイルス・デイビス”。

で、この”BS&T”はだいぶロック寄りであり、ジャズっぽくもあるが、それよりR&Bっぽいと思う。

結成時バンドの中心はプロデューサーを兼ねた”アル・クーパー”。
しかし1作「Child Is Fathe The The Man」でバンドを去る。

子供は人類の父である


そして皮肉にも2作目収録の「Spinning Wheel」がヒットした。

血と汗と涙


”エリック・サティ”の「ジムノペティ」や"CREAM"の「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」を引用している。

様々な手法にトライし、バンドの存在意義は非常に大きいと思うのだが、
たまに聴くと、バンド名と同様に結構重い音だ。。
演奏も、ボーカルもイイんだけど、体調が良くないと最後まではつらい・・
バンドキャリアは長く、今なお活動中らしい。

Posted by curodo 17:03:16Comments(0)TrackBack(0)*今はもう聴けない・FUNK-tic

●管弦楽演奏会

2007-07-06

先日、母校の管弦楽部のコンサートにいった。
クラッシックの生演奏を聴くのはこのときくらい。

客員指揮者を招き本格的である。
慣れ親しんだ演目で、母校というひいき目もありとても良い演奏だった。
地元での冬の演奏会も今から楽しみだ。

そい言えば、高校時代の器楽部も定期演奏会があり
毎年、夏休み前の土曜日の午後市民会館で開催していた。

クラスメイトの”H馬”は付き合い始めたばかりの彼女と鑑賞に行ったそうだ。

昼ご飯を食べに一旦自宅に帰り、着替えをして出掛けようとすると、
姉さんが「これ、持って行きなよ。」といって食べ物を持たせてくれたと・・
それは”茹でガニ”だったそうだ。

それを持って演奏会を聴きに行き、途中で”バリバリ”と食べていたらしい。
彼女にも「これ、食べる?」って勧めたらしいが断られたと・・

そのうちにホールの係員が来て、
「すみませんが演奏中、おせんべいは食べないで下さい。」と注意されたと・・

そこで”H馬”は「カニですけどぉ。」と答えると
係員は「カ・カ・カニですかぁ!?あぁ、あの、カニも食べないで下さぃ。。」と言ってさっさと退散したそうな。

そんな話を思い出した。
不思議な家族を持つ男だった。。

Posted by curodo 20:55:41Comments(0)TrackBack(0)いいねっ

●高2のクラス

2007-06-17

高校2年のクラス変えがあった。

1学年8クラス編成だが、またしても僕は8組。
2年では選りすぐりのおかしな連中が集まった。
従って、端っこの文系コースの8組は落ちこぼれクラスと噂され、幸か不幸か、洋楽好きが結構いた。
それでも、教師になった連中が6人もいるのは驚きだ。
もっともその連中はアホの相手は適当に、真面目に勉強していたのだろう。

その中で楽器をやっていたのは、僕のほか"H馬"・"S野"・"K田"の3人。
しかし、その構成は、"H馬"と"鎌T"がギターで"S野"と僕がベース。
これではまた、クラスでのバンドは無理だな・・、と思っていた。

"H馬"は柔道部で、筋金入りの”変ですガイ”だった。
ブログには書けない恥ずかしいエピソードが沢山ある。
勉強は全くせず家ではギターばっかり弾いているらしい。
それで、カセット録った自分の中学時代からのバンドの演奏を僕に"聴け"と持ってくる。

僕はといえば読書嫌いなのにお気楽な文芸部だし、勉強よりそっちが好きなもんだからソレに付き合うようになり、コチラのバンドのも聴いてくれと、おかしな”交換テープ”が始まった。

"K田"はサッカー部で、現8チャンのサッカー解説者、"K間"と友達だと言っていた。
若いのに北大路欣也似で、行動は自由奔放な男だった。
昼休みはエレキの弦を張ったフォークギターを弾いていて、演る曲はお決まりの”ウィングス”の「ビーナス&マース」とあと数曲だった。

Venus & Mars


"S野"は文系に進んだくせに地学部か物理部かどっちかに所属していた。
どっちにしても終始、支離滅裂な考えの男だ。
ヤツもギターを弾くんで何か演っていたがする。
あ〜、”ブラックモアズ・レインボー”の曲だった。
そういえば、レインボーはさっきのウィングスの曲にも出てくるな・・



とにかく、この連中とのエピソードは山ほどあるのでそれを全て紹介していたら違う主題のブログになってしまう。
しかしながら、良くも悪くも高2・3年の思い出といえばコイツ等との出来事が中心なので許される範囲で盛り込んでいこうと思う。

さて、高1の冬には彼女もできて、やっと素敵なハイスクール・ライフの始まりであ〜る。

Posted by curodo 21:47:23Comments(0)TrackBack(0)いいねっ

●EW&F

2007-06-15

アースの「ゲッタ・ウェイ」が、ちょいヒットした。

「なんだコリャ!なんちゅーかっちょイイ曲だ!」

イントロからブッ飛んだ。しかもこのフレーズはこれっきり。
だから最初からまた聴きたくなる。
絶対飽きない、恐ろしいアレンジだ。

パキパキしたホーンセクションとファルセットコーラスと適度(だから飽きない)なチョッパーが入るベースライン。リズムブレイク。
収録アルバムは『魂(Spirit)』

Spirit

その頃、ABBAやKC&サンシャインバンドやスタイリスティックスなどディスコ、ソウル系の音が結構流行っていた。
でもどれもシングル重視のPOPグループ的印象だった。
だからアルバムも買うことはなかった。

でもアースの「ゲッタ・ウェイ」はそれらとは異質に感じた。
ファンキーでポップではあるけれど、
その他との決定的な違いは何なのか良く解らなかった。
スピリットが違う様な・・・
だからこちらの感じ方が違うのか?
ジャケットを見ながら聴いていると余計にそんな気がしてくる。

とにかく当時としてはそれまでのファンクバンドと比べ、断然アカか抜けていながらカッコイイ。

その年の春、1年後輩に”A木”が同じ高校に入学し、同じ部に入ってきた。

彼は結構洋楽好きで、レコードを貸しあったりしたけど、
「Cちゃん(僕のこと)”アース”いいよね〜。」って言うから、
「あぁ、バカいいよ!」って答えると”アース”のアルバムを幾つか持っていてるってんで貸してもらった。

その後、彼は僕の後を追うように、きっちり浪人して、入れ替わりで同じ予備校に入り、同じ大学の同じ学部に入ってきた。

部は別でサーフィン部に入ったんで、いつかのお礼に僕の腐りかけたサーフボードを貸してあげたりした。
そのデンジャラスなハイスピードボードのおかげで、1年からメキメキ実力をつけ部長にのし上がった。

話を戻す。
”アース”はその後、誰でも知っている爆発的ヒット曲を幾つも飛ばす。
でも僕は『魂』以前の楽曲がラフな感じでいい。
楽曲でいうと「Mighty Mighty」「Evil」「Shinning Star」「That's The Way of The World」「Sing A Song」が好きだ。

Posted by curodo 20:54:44Comments(0)TrackBack(0)*今もたまに聴く・FUNK-tic

●バンド vol.4 【練習場の引越し】

2007-06-13

”K稔”の店のプレハブ倉庫の練習場で月1回ペースで数回練習した頃、在庫商品が増えてきたのでて使わせてもらえなくなると予告された。

何だ〜、練習場が無くなったらバンド存続は無理じゃん!
田舎町でスタジオなんか無いんだから。。
追い出される前になんとか目星をつけないと!

うちの蜜柑山の貯蔵庫って案もあった、音はいくら出してOK!
でも、そこに行くのには急坂で楽器を持って、歩きでは無理。。

すると、”S茂”が「うちの工場の事務所を使わせてもらえるか、親にかけあってみる。」と提案した。
何?ソンナこと出来るのか?
「OKなら土日の昼夜いつでも使えそうなんだよなぁ。」って。
それ最高じゃん!早く聞いてくれ〜!
ったら、即OK!”S茂”の家族は理解あるホントいい人達だ。

工場は大きな河の土手近くで、デカイ音は出し放題。畳の床ありで、一晩中練習できるし、眠たくなりゃ、いつでも寝れる。
ガス、水道があるからカップラーメンくらいならいつでも作って食べられる。
おまけにアンプは置きっ放しでOKとくる。

最高な練習場だ。
これで練習場所は安泰ということになった。
環境だけは、なんて恵まれたバンドだったんだろう。。

Posted by curodo 22:59:52Comments(0)TrackBack(0)バンド・練習とか

●パクリの邦楽【RCサクセション】

2007-06-12

RCサクセションのメジャーのきっかけとなったのはヒット曲「雨上がりの夜空に」だった。

RHAPSODY NAKED (DVD付)

しかし、ちょっと待った!

それモット・ザ・フープルの「ドライビン・シスター』のまんまだろ!
そこまで盗むのはひどいなよぁ。

日本のロックなんて土台、そんなもんだけどさ。
RCも清志郎の歌舞伎のセリフ口調みたいなボーカルでもっていたようなもんだけど。

大学1年のとき同じ部の”Mチ”に誘われて大学の大講堂で見たけど・・。
大学生協の後援で、確か500円くらいだった記憶がある。
とにかく安かったから見たけど。

パクリの反省をして「雨上がりの・・」の儲けを還元したんだろう。
『BLUE』もかなり売れたもんな。

BLUE

話はそれるけど、
その頃、妹のボーイフレンドがデトロイト出身の"ダン・フレッタリ"という留学生だった。
因みに飼い犬が”ジャン”で非常に紛らわしかった。

で、家に遊びに来た時、RCの曲をテープにとって欲しいと言われた。

「デトロイトといえば、モーター・カーとロック・シティじゃん。何でこんなもの聞きたいの?もっとイイのが沢山あるでしょ。」と聞き返すと、
”ダン”いわく、
「日本語で古臭いロックを演っているのがとても面白くて笑える。だからアメリカの友達にお土産に持ち帰り、聞かせたい。絶対にウケるハズ。」だとさ。

なるほど!ナイスなセンスの男だ。

願わくば、妹も土産に持って帰って欲しかったよ。
GMのお偉いさんの御曹司らしかった・・・

Posted by curodo 21:49:13Comments(0)TrackBack(0)パクリの邦楽

●モット・ザ・フープル

2007-06-11

”バドカン”参加前に”ミック・ラルフス”が在籍していたバンド。
古すぎて、当然僕はリアルタイムではない。

"デビッド・ボウィ"のプロデュースアルバム『All Young Dudes』でメジャーバンドになったようだ。

すべての若き野郎ども


だが、ヒットしたタイトル曲などはまさに”ボウィ”メロディで、どうも”モット”な感じが出ていない。
全体にバラエティに豊み過ぎというか、まとまりがない曲構成で取って付けたようでしっくりとこない。

実は”バドカン”1stの超有名曲「レディ・フォー・ラブ」もオリジナルがこのアルバムに収録されている。
”ミック”の作曲で自ら歌っている。
歌は”ポール”にはかなわないけど、可愛らしい声で僕はかなり好きだ。
そういうことも考えに入れると僕はそれ以前のアルバムの方が好み。
楽曲提供でも”ミック”が頑張っていて、粗削りのロックっぽさが色濃い。
だから、一番お気に入りはアルバムは、『Mad Shadows』

マッド・シャドウズ(紙ジャケット仕様)


次に少しソフトでアメリカンになるが『Wild Life』。

ワイルドライフ(紙ジャケット仕様)


オープニングからリードボーカルでシャウトが聴ける。

”モット”の曲ではシンプルなロックン・ロールに対比するようにピアノバラードがどれも素晴らしい。
アルバムに3曲程度は挿入されているピアノ・バラードがどれも素晴らしい。
ボーカルは”イアン・ハンター”がとっていた。
”モット”の曲ではシンプルなロックン・ロールも良いが、
”イアン”の危うく音を外しそうで外さない?な、ところがたまらなくいい。

その後のソロアルバムでは一層磨きがかかっている。
”イアン”バラードだけのMD編集をしたりして楽しんでもいるんだけどね。

バンド自体はその後、暴力的イメージでカリスマ性を帯びてきてUKパンクスの教祖的存在になっていたようだ。

Posted by curodo 21:28:07Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・R&R-tic

●バッド・カンパニー

2007-06-08

スーパーなミュージャン達で結成されたグループ。

Vo:ポールロジャース(フリー)
Gt:ミック・ラルフス(モット・ザ・フープル)
Ba:ボズ・バレル(キング・クリムゾン)
Dr:サイモン・カーク(フリー)
という具合で元バンドが凄いブランドばかりだ。

デビューアルバムにシングルカットされた曲「キャント・ゲット・イナフ」というのがあった。

Bad Company

ミディアム・テンポのR&Bっぽい曲だったけど、ソレまでの僕の洋楽遍歴からすると
かなり大人っぽくもなり渋いモノであった。

しかもボーカリストのポール・ロジャースは凄くイイ!
眉が太く、垂れ目なところも、日本人を妻にするセンスもイイ。

それはおいといてだ、
セカンド・アルバムもどの曲もエライ素晴らしい出来栄えだ。
どちらかといえば、僅差でセカンド「ストレイト・シューター」が好みかな。

ストレート・シューター(紙ジャケット仕様)

小僧には真似できない大人のロック!?
これまたバンドでは到底出来そうにない。
ここでは「グッド・ラビン」を紹介しようかい?



ベーシストの”ボズ”はキング・クリムゾン時代、前任者”ゴードン・ハスケル”の不甲斐なさに美声を買われ加入、ロバート・フィリップにベースを教えてもらって演っていたらしい。

それでか、ボズのベース・ラインはシンプルでツボをおさえたもので、リズム感さえしっかりしたら、コピーは難しくは無い。

むしろ”バドカン”でも”ボズ”のボーカルが聴けたら嬉しかったんだけどね。

あぁ、それで「キャント・ゲット・イナフ」がどうしたの?ということだが、う〜ん、長くなりそうだ。。
それは、もう少し先に詳しく書き込むよ・・

Posted by curodo 23:00:38Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・BLUES-tic

●バンド vol.3 【できた。バンド?】

2007-06-02

僕の洋楽アーカイブスを時系列で書いてきたが、少し脇道にそれそうになった。
"ヤン・ハマー"から”マハビシュヌ・オーケストラ”にいこうと思ったがそれはもう少し後にしよう。

さて、高1のバンド結成の話に戻そう。
"K稔"が本当にドラムを買ってくれた。
すかさず"S茂"が練習曲のテープを渡しに行った。
"ピーター・プランプトン"の「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」だ。
カッコイイわけでもなく、最高というものでもなかったが、とりあえず演奏の実現性を考えてこれにした。

それから1ヶ月ほどした日曜日、初練習となった。
場所は"K稔"の家の新設プレバブ倉庫。
3人だと十分すぎる広さだ。
午前から夕方まで使わせてもらった。
初夏だが、ただでさえ音が漏れるので窓は開けられない。
かなり暑い。でも"K稔"の家は酒屋。
今ならビールだが、高1の当時はジュース類を差し入れていただいた。

"S茂"と僕は個人、合同練習をそこそこやってきたのでなんとか通して出来る状態。
小学生がやっとプールで25mをアップアップしながら泳げるようになったような感じだ。

だが、"K稔"はやっと8ビートを刻めるようになったばかり。
それも不安定で、1分と持たない。
少林寺拳法部のくせに腕力が足りないのか?
はたまた、扱かれすぎて力が残っていないのか?
結局、課題曲にトライはしてはみたがドラムを無視して進行した。

あ〜、曲にというか、全然バンドになっていない。
単に、楽器を買った3人組が音を出しているだけだ。
まぁ、初回はこんなもんか。
練習場所がタダで確保できただけでもラッキーだっただろう。。

Posted by curodo 23:13:45Comments(0)TrackBack(0)バンド・練習とか

●トミー・ボーリン(その2)

2007-05-30

トミーの経歴は"ジェイムス・ギャング"、"ディープ・パープル"とソロだけではない。
"ジェイムス・ギャング"のまえの"エナジー"ではななり完成度の高いアルバムを制作している。

Energy

'71年のこの時まだ若干二十歳そこそこで、このセンス。
かなり成熟した、お洒落な音作りをしている。
「DREAMER」はソロ『TEASER』で自らボーカルをとって再演している。
ラストの「Sky Sail」はロック、フージョンでもないカテゴライズできないニュートラルな雰囲気の曲。

'73年の22歳の時、フュージョン系ドラマー、ビリーコブハムのソロ『SPECTRUM』でキーボーディストのヤン・ハマーと共にソロをガンガンに取り合っている。



そこで気づいた!
これって、その後ジェフ・ベックが'75年に「ワイヤード」で演ったスタイルの原型じゃん。
ヤン・ハマーの音色が全く同じなので余計に似て感じる。

ここでの演奏では「Taurian Matador」がイイ。
タイトル名どおり躍動感ある軽快なソロの掛け合いが聴ける。
もちろん主役のコブハムのおっちゃんのドラムも凄い手・足数だ。

ジミと共にトミーも僕の仏壇にいる。
これからも僕がそこに並ぶまで聴きつづけるだろう。

合掌

Posted by curodo 22:26:15Comments(0)TrackBack(0)*今もよく聴く・分類保留

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