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●マイケル・フランクス

2007-08-27

なんとか、ごまかしごまかしで、もうイイやでたたみ込んでしまおう。
なかでも今日は最弱、”マイケル・フランクス”ですぅ。
「アントニオの歌」ってのがちょいと流行って名前を知った。
これってボサノバか?
甘く、切なく、けだるぃ感じ・・・ はぁ〜・・

とにかく、このころ軟弱アダルティ路線に片足のくるぶし位まで突っ込んでんで
勢いでというか、、勢い無くというか次のアルバムを購入。
『シティ・エレガンス』って、、なんじゃこの邦題。

Burchfield Nines


「鹿の庭で会いましょう」lって曲は奈良公園のことだって。
クラスの先進的少数軟派達は待ってましたと借りに来たさ。
前述の「アントニオの歌」を知ってたからね。
ほいほい、んで君達、聴いてみて感想はどうだった?
と尋ねると。



「う〜ん、全部ただのため息みた〜い。こっちもため息が出ちゃ〜う。」
まだ、青リンゴ時代だから、桃色吐息とはいかないだろうけど・・
とにかく「アントニオ・・」なんて男らしいタイトルであの体たらくですから、この『シティ・エレガンス』では脱力感がさらにパワーアップというかパワーダウン。。
どうにもこうにも手ごたえのない、大リーグボール3号のような仕上がりだ。

でも、これくらい腑抜け具合も極めて、
オリジナルの世界観が持てれば、実は大したもんだと思っているのだ。

それにアレンジ変えてボーカルも変えたらたら”シャーディ”みたいにいい感じになりそうなイイ曲も結構ある。

それじゃ”シャーディ”か。

さて、洋楽履歴ビックバンは間近・・

Posted by curodo 18:50:31Comments(0)TrackBack(0)

●ポール・コゾフ

2007-08-25

言わずと知れた、元フリーの泣きの名ギタリストだ。
なんで、ここで出すかというと、この頃、
僕の洋楽昏睡期にあって、唯一のカンフル剤が
これ『バックストリート・クローラー』だった。

バック・ストリート・クローラー(紙ジャケット仕様)

元フリーのメンバー達がほとんど参加していて、
’ポール・ロジャーズ’の声も堪能できる。

意味があるのか無いのかわからないんだけど
よく裏ジャケットの指の型がカッコいいと感じてポーズを真似していた。

1曲の「チューズディ・モーニング」は約束どおり火曜の朝の目覚まし曲だった。
インストゥルメンタルで18分くらいの長尺ものなので聴きごたえ十分だった。
ジャムセッション風の曲だが、ほぼ全編にわたりコゾフの泣きのソロが聴ける。
これはフリー時代より自由にノビノビとプレイしている。
そりゃ今になってもそうだ。
さすがにエアギターまではやらないけど。

アルバムは全体ににジャンキーな雰囲気が覆っている。
ということで彼も若くして亡くなってしまった。
もう少しこの先の音を聴きたかった。

残念ながらソロ時代の映像が無いので、若き”フリー”時代の、というかロックの超名曲中の名曲「オール・ライト・ナウ
みんなカッコよかった〜。。

合掌

Posted by curodo 18:08:51Comments(0)TrackBack(0)

●ボブ・ウェルチ

2007-08-18

前回の”フリートウッド・マック”が大ブレイクする前に在籍したギタリスト&ボーカリスト薄ハゲ+ロン毛’ボブ・ウェルチ’

脱退後は3Pの’パリス’というハードロックバンドをやっていた。
これはなかなかカッコイイ曲を演って極めていたが2枚のアルバムをリリースして解散。

今回はソロアルバム『フレンチ・キッス』を紹介。

French Kiss

これは純真アスパラBOYはうずくまっちゃいそうに刺激的なジャケットだった。

楽曲はなんとも軽いポップロックでホニャホニャした歌い方。(簡単に言えば上手くない)
音づくりはジャケットのイメージにかなり近い。

シングル「エボニー・アイズ」がそこそこヒットした。

次の『スリー・ハーツ』も購入したが前作と全く同じ路線。

よっぽど聴くアルバムが思いつかなかったんだなぁ。
聴くべきものはこれだそと指し示してくれる良い先導者が近くにいたらこんな状況に陥っていなかっただろうに・・。

こんな色っぽいジャケットも38HRの女の娘は喜んで借りていった。
聴いた感想も「イイょ、ヨカったょ〜」って言ってたから
青リンゴ娘達にはそれなりに刺激があったのかもしれない。

さぁ、ここらでもういいか〜。

Posted by curodo 10:35:42Comments(0)TrackBack(0)

●フリートウッド・マック(後期)

2007-08-16

さて、そろそろ洋楽履歴の混迷期の最深部に入ってきた。
思い出したくも無いものは大幅に端折って、サッサとここを通り抜けてしまおう。

『ファンタスティック・マック』の「マンディ・モーニング」は良い曲だった。もちろんポップスとしてだ。
こりゃROCKじゃない。

ファンタスティック・マック(リマスター&ボーナス・トラック・エディション)


月曜の朝は毎週、目覚まし代わりにタイマーセットして聴いていた。

それにしても以前のマックからしたら、脳天気路線まっしぐら。
オリジナルメンバーでギタリストの”ピーター・グリーン”や”ジェレミー・スペンサー”はさぞ呆れたことだろう。
まったくバンドも変わればこんなにも変わるものか。
オリジナルメンバーは
ドラムスの’ミック・フリートウッド’とベースの’ジョン・マクビィ’だけ。
そうか、この二人がいさえすれば”フリートウッド・マック”になるのか。
バンドの要、リズム隊が固定されていたらいいのか?
しかしこのオッサンたちは曲を全然書かないし・・

う〜ん、なんだかな〜。。
新加入のカップル’リンゼィ&スティービィ’も)マクビィの嫁クリスティ’もみんないい曲は書くからこれほどヒットしたのだろうけど・・
これも38HRのクラスメイトにウケ、ヘビィローテーション・ディスクとなり、忘れた頃に戻ってきた。

内情は怪しいバンド内不倫関係でドロドロ状態になっちゃっていたようだ。
純真な僕には到底理解できないです。

さてさて、続くアルバム『噂』はメチャクチャ・バカ売れし、スーパー普通のバンドに成り果てた。

噂(リマスター&ボーナス・ディスク・エディション)

この勢いは続く2枚組みアルバム『タスク』までにも維持さていた。

Tusk

脳天期マックはこのくらいにして、本当のマックまた改めて・・
・・では、最後に看板娘のドスの効いた歌でも・・

Posted by curodo 21:02:11Comments(0)TrackBack(0)

●へんドリックス

2007-08-14

58277.jpg

(蔵出し日記)

どうでもいい、本当に"しょ〜もない"話です。
最後まで読んだら腹が立ちますので、
「それ、知ってるよ」という人や暇の無い人は、この先を読まないで下さい。

では・・
何かがきっかけとなって芋づるのようにツルツルと思い出してしまう、でも誰にも話しようのない"バカかりし頃"の話が時々あります。
そんなことも忘れないように書き留めておく様にしようかなと、

某所で"八代亜紀"の絵画の個展を見た。

全曲集/風のブルース

展示即売のサイン会を兼ねていたのでご本人も見えていた。
案の定、魅力的気な女性だった。
この年になってようやく良さが理解できるような気がする。

彼女を見るとかならず思い出すのが高校生時代。
彼女の大ファンだった男がいた。
ちなみに当時、僕は"水沢アキ"が好きだった。
今思えば“AKI”つながりだな。
そういえばアイツもベース弾きだった。

「サノ・ヘン」というニックネームの男(私がつけた)で、少し変わり者だから“佐野変だ。佐野変だ!”としょっちゅう言ってたから{サノ・ヘン」になった。
本人は最初気に入らない様だったが、
「じゃあ、サノ・ヘンドリックスにしよう!」と言うと、意外に満更でも無いようだった。
「でも、ジミみたいに普段は縮めてサノ・ヘンだよ。いいだろう!」って言ったら、「おーッ、イイ、イイ!」ってものスゴく喜んでいた。
"ジミ"みたいってとこがエライ気に入ったようで、突然、”紫の煙”のリフを口ずさみながらギターの弾きマネをし始めた。(今で言うエアギター)



「く〜っ、カッコイイなぁ、このフレーズ、ディストーションをバカ効かせて弾くと気持ちイイんだよ!あーっ、早く家帰って弾きたくなった!」彼はギターも密かに弾いてた。
「やっぱりアイツ、変だよなー。」と、みんなで言ってた。

学校帰りに「サノ・ヘン」の家に連れて行かれ、彼のギターに付き合わされてベースを弾かされたり、歌わせられたりしたが、僕はあまり気持ち良くは無かった。。
最初は、"レインボー"とか"クィーン"とかやってるんだけど(ここから既にツライ)、最後はいつもヤツの本命「太田裕美」のアルバムをコッテリと聞かさられて(ずれたユニゾンのサノの歌つき)、ドッと疲れて帰っていた。

2000 BEST

作曲は筒美京平、天才だ!と何度も聞かされた。
彼とは音楽の趣味が全く合わなかった。。

「サノ・ヘン」という呼び名は広く浸透して、クラス担任も同じように呼んでた。
担任「おい、佐野の名前は何だって?」
サノ「敏明です。」
担任「じゃなくて、ヘンノ・・?」
横から僕「ヘンドリックスです。」
担任「佐野ヘンドリ・・?解りにくいから、サノ・ヘンでいいなっ。」 って、教科書で肩をポンポンされてたのを今でも思い出す。

同窓会などがあるといつも「昔のくだらない事だけはホント、よく覚えてるな〜」と関心される(呆れられてるのか・・)僕です。

・・お疲れさまでした。

Posted by curodo 20:10:03Comments(0)TrackBack(0)

●FLAT WOUND STRINGS

2007-08-11

58114.jpg

PJプレベの弦を’D'Addario’の
HALF WOUNDからFLAT WOUNDに張替えた。

HALF WOUNDは全メーカーが製造しているわけではない。
音の鳴りも少々硬いがわりと良かった。
でも、それより指腹の感触(引っ掛かり)がどうも気になった。

それは、ナイロン弦が標準仕様のセミアコベースを購入してからは一層顕著になった。
2本のベースを交互に使うと感触の違いが大き過ぎる。
大きなブランクが開く前はロトサウンドのROUND WOUND弦だったからもっと表面が粗くザラツキは大きかったが、ヘンな引っ掛かりは無かった。

最初から別物と割り切って使えこなせたらいいんだろうけど
僕はそんなに器用ではない。
エレベ×セミアコ、ヘレットレス×フレレテッドの違いだけで十分。

高校時代はズットFLAT WOUNDだった。
感触はその時以上に良好。
当然、音も。
望んでいたイメージに結構近い。
というよりもっとマイルドというか、ボヤけた音も覚悟していた。
評判どおり’D'Addario’は安価な割にはお奨めかも。

しいて気になるのは、指先でアタックを強い弾いた時に金属的な芯の残った様な摩擦音も鳴ることだ。
これは腹側で弾くとそれは解消される。
それなりの慣れを要するのか。
’D'Addario’だけの特性なのか。
どうなんだろう。
ちょっと研究の余地ありだ。

それから、弦端糸の色が枯れた明るい青というのがなんともチープなイメージでいただけない。

いずれにせよ弾き易さは格段に向上したので
しばらくこれで練習に励もう。

Posted by curodo 21:35:46Comments(1)TrackBack(0)

●スティーリー・ダン

2007-08-08

”ドゥー・ビィ・ブラザース”と比較されることが多かった”スティーリー・ダン”。
それってなぜだったんだろう。
音楽的には全然共通性が無い。
言えるのは契約社員の様な存在だった’ジェフ・バクスター’と’マイケルマクドナルド’が途中から抜け出て
ドゥー・ビィ・ブラザース”に行ったことくらいか。

さて”スティーリー・ダン”というバンドというかユニットは中学生時代からかなり気になっていたのだが、資金不足や周辺で誰も聴いていなかったのでずっと遠巻きに眺めていた状態だった。
代表的な数曲はラジオで聴いていたこともあったかもしれない。
「爽やか革命」あたりから気になってはいたんだけど、アルバムで最初に聴いたのは超ヒットの「aja」でようやくだった。
今思えば、もっと早く手を出しておくべきだった。。

Aja

じゃ音はというと、軽快でチョイとファンキーでロックなの??かと思える、なんともお洒落なものだった。
で粘り着き、絡み着くような乾いたボーカルが独特でかなり印象的だ。
ボーカルはぜんぜんファンキーではないのだが、音楽に乗っても違和感がない。。(J系のだとたいてい違和感だらけ)



こんな感じの音楽はそれまで聴いたことはなかった。
今になっても現れてこない。空前絶後ということか。
今でも大好きで全てのアルバムをよく聴き直す。
じゃ、一番はどれ?と聴かれると本当に悩んじゃう。
全部聴いたほうがイイ。
前期のジャケデザインは一捻りあって後期と逆の意味でイカしている。

さて、この時、前述の契約社員はクビになり、
メンバーはボーカルの’ドナルド・フェイゲン’とギター係の’ウォルター・ベッカー’2人になり、演奏はほぼ完全に外注ゲストミュージシャンにより制作された。
これがフュージョン界のトップばかりの凄腕の面々。
この究極の合理的スタイルが今でも継続されている。
実際には、”スティーリー・ダン”は最初からこの2人だけだったのだと思う。
チェリッシュの夫婦みたいなものかも。(今日はたとえが冴えていない)

このアルバム、ナゼか楽器をやらない連中には頗る評判がよく、借りてが殺到した。

ちょうど3年生になった頃で理系クラスから落伍して我クラスに来た’H野’がかなり気に入っていた。
彼は’K田’と同じサッカー部で清水市内の高校サッカーのまさに底辺を支えていた。
如才ない男だったので直ぐに仲良くなった。
服装にかなりこだわる男で、僕も影響された。
悪いVAN系ファッションを’Jちゃん’からレッドカードを出され、流されるようにウエストコースト脳天気系に足を踏み入れていたが’H野’のおかげで’JUN系’に軌道修正していった。
これには’Jちゃん’はイエローカードを時折カードをちらつかせていたが迷っていたようだった。
今で言うと、微妙なところだったんだろう。

’H野’とは3年生の1年間を2人でクラス委員を務めることになり、楽しくも笑える思い出が多い。

それについては、またいずれ。

Posted by curodo 21:40:20Comments(0)TrackBack(0)

●Immigrant Song

2007-08-06

前回のプロレスつながりで
学生時代、後輩の”K刀”と二人で横浜文化体育館にNTVの「世界最強タッグリーグ戦」スタン・ハンセン+故ブルーザー・ブロディを目当てに見に行った。
対戦相手は確か前回紹介したリッキー・スティンボート組だったと思う。

”K刀”が僕に「”Cさん”カラダをペシペシ叩きにいこう!」と無謀な発言。
既に花道には大勢のアホでひしめいているじゃんか。

「ソリャ無理だろ〜」と諦めさせようとする。が、
「せっかく来たじゃ、行こし、行こし」としつこい。
そう、彼は甲州人だった。

アホ連中の中をもっとアホが割り込み掻き分け最前部まで進もうとする。
ハンセンの入場曲は”K刀”が好きな”スペクトラム”の「サンライズ」、
僕はブロディのファンで”レッド・ツェッペリン”の「Immigrant Song」が入場曲だった。

Led Zeppelin III




しかしイントロからボーカルパートは金管楽器の演奏にアレンジされている。
ニックネームが”キング・コング”だしホーンでもイメージには合わなくは無い。

さて、無理無理の顰蹙を買いながらながら、ジワジワと前進を続ける僕らアホ達であったが・・・
あのイントロが・・そして「Immigrant Song」が ”プゥワァア~~.パ=!” と鳴る 。
一同(僕らも)、「お"=!!」という大歓声が沸き起こる。
う〜ん、やはり最前列には到達しないじゃないか。
と思いつつ、入場口の方を見ると・・

通路も花道も何も無い状態だった入場口付近の群衆が・・
”モーゼの十戒”の海の様に凄い速さで二つに大きく割れ始めた。
それを見た僕等は再び、「おぉー!」。
そのわけは例の入場だった。
ハンセンがロープ、ブロディがチェーンを振り回しながらドンドン進んで来るじゃないか。
すると僕らは三度、「お”ぉ=!!!!」と奇声を発することに。。
割れた海に呑み込まれながら自らも波となって崩れ落ちた。。
カラダを叩くどころか無残に自爆。
観戦は試合前から大エキサイト。
ヘンに満足して帰宅。

後日、仲間とTV観戦で二度楽しんだ。
目標までの距離は程遠く、台風にさらされた稲穂の様に薙ぎ倒されている、無様でアホな姿が映し出されていた。。

Posted by curodo 20:20:24Comments(0)TrackBack(0)

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