観終わって思ったこと。
「ハウル(の動く城)って、こんなに良かったっけ!?」
この作品が映画館で上映されていた頃は、(ジブリにしては)めずらしく恋愛ものだなぁ。やたらめったらスキスキ言うてるなぁと思ってたぐらいなのですが。
時間が経って、改めて観て「面白い」と思ったので、あらすじも含めて感想をば。
あっちなみに、あらすじのほうが長いです。えぇ。
それでも読んでやろうじゃーないかという素敵な方は続きからどうぞ。
【あらすじ】
主人公のソフィーは父の残した帽子屋を継ぐ働き者の18歳の女の子。
荒地の魔女に70歳(だったかな?)のお婆ちゃんの姿にされてしまいます。呪いを解くため、ハウルの城にもぐりこみ、自称“掃除婦”として住み込みます。
ハウルの動く城には、ハウルはもちろん、火の悪魔カルシファー(ハウルとの契約に縛られて身動きできず、火の力でハウルの城を動かしている)、ハウルの弟子マルクル(「待たれよ」と魔法でおじいさんになったりします)、かぶ頭のカカシ(ソフィーに助けられてくっついてきた)と暮らすうちに次第に「家族」の絆がうまれていきます。
その一方、世界はどの国も戦争をしていて、人も魔法使いも駆り出される混沌とした時代―ハウルは荒地の魔女に心臓を狙われ、王室付きでハウルの魔法の元師匠サリバンに追跡されながら、人外の形になって戦い、いつしか心も闇に囚われ人に戻れなくなるかもしれないところまで追い詰められてゆきます。
主人公ソフィーは、そんなハウルを、愛する者の心を取り戻すため、戦場へ向かいます。
ハウルから授けられた指輪に導かれるまま、ソフィーが辿り着いた先には・・・・・・過去。
幼い頃のハウルがカルシファーを飲み込んで胸から火の石(心臓)を出すのを目撃します。
それこそが、ハウルとカルシファーが結んだ契約=呪いでした。
その二人に向ってソフィーは言います。「必ず会いに行くから、未来で待ってて!」と・・・・・・。
現在に戻ってきたソフィーは、ハウルとカルシファーの契約を解きます。
カルシファー(ハウルの心臓)を、ハウルの胸へそっと戻し、
「カルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」と……。
目を覚ましたハウル、呪いが解けて自由の身となったカルシファー、そしてかぶ頭のカカシも人間の姿(実は隣の国の王子様!)に戻ることができました。
その様子をサリバンは、使い魔(犬)を通して見て、ハウルを諦めて(自分の後継者にしようとしていた)、国のトップにこの馬鹿げた戦争をやめるよう指示します。
気持ちが通じ合ったソフィーとハウル、魔法で元の年齢に戻った元・荒地の魔女のお婆ちゃん、ハウルの弟子マルクルとサリバン先生の使い魔(犬)は、ふたたびみんなの下へ舞い戻ったカルシファーが動かす「ハウルの動く城」に乗って、青い、青い空を飛びながら幸せに暮らします。
もちろん、ソフィーは元の姿に戻って!
というところで終わるわけですが、いやはや。
ソフィーがお婆ちゃんの姿になってしまったのは荒地の魔女の呪いのせいですが、ソフィーの心にかけていた魔法は、自分自身。「私は美しくない」という“自己否定”が、ソフィーの心をかたくなにし本来の自分をどこかに隠していたんだと思います。だから『ややこしい魔法』だったのでは!?
元の姿に戻ったりおばあちゃんの姿に戻ったり、少し若くなったり。
ソフィーの心の動きで変わっていたんですね。
劇中、汽車が走っていて、きっとそのせいで『帽子』が流行ってたんだろうなぁ。汽車のはく煙から頭を守るために。
ソフィーのお母さんはどうやらとっても派手好きで流行に敏感で、自分の思うとおりに生きてきた人なんだろうなぁと思いました。どうやらソフィーとは気が合わないようで、お母さんは最後まで自分を優先してたなぁと思います。サリバンに新しいだんなさんを人質に取られてやむを得ずハウルとソフィーが住む家にわざと忘れ物を残していくシーン、娘の安全より、自分のこれからの生活を優先したってことだと思うから。
母と娘といえど別の個体だから、考え方も行動も違ってて当然なのですが。
血の絆ってどこまであるものなのか。。。
そんななか、ハウルの弟子マルクルの可愛らしさや優しさにニコニコしました。
サリバン先生のハウルに拘る執着心や荒地の魔女の執念は、人の欲そのものなんだろうなぁ。
それらから背を向け逃げ続けていたハウルが「守るものができたから」と、今まではただ単に無用に人を傷つけることを嫌うがために戦っていたのが、今度は愛する者を守りたいと、自ら戦場に赴くシーンはせつなくなりました。
と、色々考えさせられる『面白い』作品だったのです。
作品は変わらないけど、受け止める側が変われば、人それぞれに違った色が生まれるのでしょう。
年を重ねるってそういうことなのかな?
・・・なんて。
なんて言ってみたりする。
永遠の24歳な私。ほほほ。
さてさて。
今日からいよいよ「ゲド戦記」が公開ですね!
皆様はもう観にいかれましたか?
私もゆかなくてはっ☆楽しみです。
主人公のソフィーは父の残した帽子屋を継ぐ働き者の18歳の女の子。
荒地の魔女に70歳(だったかな?)のお婆ちゃんの姿にされてしまいます。呪いを解くため、ハウルの城にもぐりこみ、自称“掃除婦”として住み込みます。
ハウルの動く城には、ハウルはもちろん、火の悪魔カルシファー(ハウルとの契約に縛られて身動きできず、火の力でハウルの城を動かしている)、ハウルの弟子マルクル(「待たれよ」と魔法でおじいさんになったりします)、かぶ頭のカカシ(ソフィーに助けられてくっついてきた)と暮らすうちに次第に「家族」の絆がうまれていきます。
その一方、世界はどの国も戦争をしていて、人も魔法使いも駆り出される混沌とした時代―ハウルは荒地の魔女に心臓を狙われ、王室付きでハウルの魔法の元師匠サリバンに追跡されながら、人外の形になって戦い、いつしか心も闇に囚われ人に戻れなくなるかもしれないところまで追い詰められてゆきます。
主人公ソフィーは、そんなハウルを、愛する者の心を取り戻すため、戦場へ向かいます。
ハウルから授けられた指輪に導かれるまま、ソフィーが辿り着いた先には・・・・・・過去。
幼い頃のハウルがカルシファーを飲み込んで胸から火の石(心臓)を出すのを目撃します。
それこそが、ハウルとカルシファーが結んだ契約=呪いでした。
その二人に向ってソフィーは言います。「必ず会いに行くから、未来で待ってて!」と・・・・・・。
現在に戻ってきたソフィーは、ハウルとカルシファーの契約を解きます。
カルシファー(ハウルの心臓)を、ハウルの胸へそっと戻し、
「カルシファーが千年も生き、ハウルが心を取り戻しますように」と……。
目を覚ましたハウル、呪いが解けて自由の身となったカルシファー、そしてかぶ頭のカカシも人間の姿(実は隣の国の王子様!)に戻ることができました。
その様子をサリバンは、使い魔(犬)を通して見て、ハウルを諦めて(自分の後継者にしようとしていた)、国のトップにこの馬鹿げた戦争をやめるよう指示します。
気持ちが通じ合ったソフィーとハウル、魔法で元の年齢に戻った元・荒地の魔女のお婆ちゃん、ハウルの弟子マルクルとサリバン先生の使い魔(犬)は、ふたたびみんなの下へ舞い戻ったカルシファーが動かす「ハウルの動く城」に乗って、青い、青い空を飛びながら幸せに暮らします。
もちろん、ソフィーは元の姿に戻って!
というところで終わるわけですが、いやはや。
ソフィーがお婆ちゃんの姿になってしまったのは荒地の魔女の呪いのせいですが、ソフィーの心にかけていた魔法は、自分自身。「私は美しくない」という“自己否定”が、ソフィーの心をかたくなにし本来の自分をどこかに隠していたんだと思います。だから『ややこしい魔法』だったのでは!?
元の姿に戻ったりおばあちゃんの姿に戻ったり、少し若くなったり。
ソフィーの心の動きで変わっていたんですね。
劇中、汽車が走っていて、きっとそのせいで『帽子』が流行ってたんだろうなぁ。汽車のはく煙から頭を守るために。
ソフィーのお母さんはどうやらとっても派手好きで流行に敏感で、自分の思うとおりに生きてきた人なんだろうなぁと思いました。どうやらソフィーとは気が合わないようで、お母さんは最後まで自分を優先してたなぁと思います。サリバンに新しいだんなさんを人質に取られてやむを得ずハウルとソフィーが住む家にわざと忘れ物を残していくシーン、娘の安全より、自分のこれからの生活を優先したってことだと思うから。
母と娘といえど別の個体だから、考え方も行動も違ってて当然なのですが。
血の絆ってどこまであるものなのか。。。
そんななか、ハウルの弟子マルクルの可愛らしさや優しさにニコニコしました。
サリバン先生のハウルに拘る執着心や荒地の魔女の執念は、人の欲そのものなんだろうなぁ。
それらから背を向け逃げ続けていたハウルが「守るものができたから」と、今まではただ単に無用に人を傷つけることを嫌うがために戦っていたのが、今度は愛する者を守りたいと、自ら戦場に赴くシーンはせつなくなりました。
と、色々考えさせられる『面白い』作品だったのです。
作品は変わらないけど、受け止める側が変われば、人それぞれに違った色が生まれるのでしょう。
年を重ねるってそういうことなのかな?
・・・なんて。
なんて言ってみたりする。
永遠の24歳な私。ほほほ。
さてさて。
今日からいよいよ「ゲド戦記」が公開ですね!
皆様はもう観にいかれましたか?
私もゆかなくてはっ☆楽しみです。




がんばったでしょー。それを読んでくれたサーコおぃちゃんは素晴らしい〜☆ありがとう!
私がごろうさんを見て思ったのは、「男前やん!」でした(笑)。
>やっぱりカエルの子はカエルで、子供って絶対親から何かを受け継いでいくものなのかな〜と思いました。
やっぱり産まれてからの「環境」なんだろうねぇ。親の背中を見て育つ。かな?机に向かう駿お父さんの背中をずっと見てきたんだろうね。これって大きな財産だねぇ。
ゲド戦記、観に行こうね!楽しみじゃー。
ワタシもこないだみましたよ☆ハウル。
ちえしゃんの文章をよんでて思ったことは、
やっぱり受け止める側が変われば見かたって変わると思います。うんうん。
とくにジブリの作品って大人になっていろんなことを考えるようになればなるほど考えさせられる作品だと思います。
人間の醜い部分とか、純粋な部分とか、すてきな部分とか、なんかいろいろ考えながらみてしまいます。
深い作品ですよね、本当に。
ジブリは時代がかわってもずっと残っていってほしぃ作品の1つです。
ゲド戦記かなりたのしみです。
今日、ゲド戦記の裏側!みたぃなのをテレビでやってました♪
監督(宮崎吾郎監督)ってあんなわかかったんだ!とおもってちょっとびっくりしました。
しかも、もともと建築関係のお仕事をされてて、これが初作品なのに、絵コンテのうまさとかには驚きましたよ〜
やっぱりカエルの子はカエルで、子供って絶対親から何かを受け継いでいくものなのかな〜と思いました。
早く観に行きたい!!
ってなわけで早くいきましょっ!ね(^ー^)ノ
今日はめずらしく真剣に語ってしまったわたくしでありました。
そわそわ。